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グリーフ回復日記

当サイト運営者の喪失回復日記です
不定期ですが、日々の感情の変化などを日記形式で綴ります。

2017年8月26日開始

2018年2月15日(木)
変えれるものとは?
二ヶ月以上更新が途絶えていました。理由は日々の暮らしの中で辛い日々が減少したからです。毎日が充実とまでは行きませんが、落ち込む事も少なく穏やかに過ごせていたからだと思います。
でも、やはりいつまでも続かない ものです。突然悲しみがぶり返してきました。原因はお酒です。あれ程恐れていたお酒をまた、飲み始めたからです。他界した妻との約束をやぶり飲んでしまいました。こころに隙ができたからです。
日々の暮らしにも幾らかの自信が生まれ その自信がお酒にまで及び、もう飲んでも大丈夫との驕りが生まれ飲んでしまいました。
お酒の酔いは過去をあぶり出し、様々な出来事を思い出させてくれます。特に辛い思い出をこれでもかとばかりに吐き出しました。そうなるともう止まりません。 涙が溢れ妻を不憫に思い昔の辛い状態に逆戻りです。自業自得です。
私の持論である故人を忘れる事が供養になるが実践されずに、酒の酔いにより忘れるどころか過去のあらゆる出来事を思い出してしまいました。やはり喪失感に酒 は絶対に駄目です。辛いだけです。
酔いが覚め、我に返りました。なぜあれ程喪失感を忘れ穏やかに過ごせていたのに、お酒を飲むと元に戻ってしまうのか?やはり妻が亡くなった事実をまだ受け入れていないのだと悟りました。ここで振り出しに 戻ります。もう一度最初からやり直しです。妻が亡くなったと言う変えられない事実を受け入れ、変えれる自分のこころを変える。それしか喪失感の中で生きて行く事はできないと思いました。また、戦いが始まります。
2017年12月9日(土)
生きていく勇気
やっと半年が過ぎて7ヶ月目に入りました。まだまだ号泣スコールは突然やってきます。しかし、最近は以前に無かった感覚があります。以前号泣スコールが襲った場合には、兎に角泣いて、泣いて、かなり長時間号泣していました。 ところが最近は、号泣スコールがやってくると同時にこの号泣が終われば気持ちが楽に慣れると考えている自分がいる事に気が付きました。悲しみに暮れながらも、この悲しみに対して少しではありますが、何がしか心の余裕のようなものが 出てきたと感じています。7ヶ月目で悲しみが薄れて来た事に対してどう感じられるか解りませんが、僕は故人を偲び悲しみに暮れている事だけが、故人の供養になるとは考えていません。
遺された者が幸せに生きてゆく事が最大の 供養であると信じて、自分の幸せを考える事にしました。多分、故人に代わり自分が先立った時の事を考え、遺された者を思った時このように考えるのではないでしょうか?悲しみより幸せを選択して生きていく事が遺された者の使命では ないかと思います。
2017年11月25日(土)
残りの人生
残りの人生を考えた時、私に残された人生は今まで生きてきた人生の三分の一残されているかどうか?あと長くても20年、短ければ10年かもしれない。妻を失い悲しみに暮れているだけの時間を過ごす事は、短い残された時間を更に 短くするのであります。遺された者は故人を思うが故に自分の幸せはあまり考える事はありません。故人を思う気持ちが強ければ強いほど、遺された自分が幸せになる事には躊躇しがちですが、遺された者が幸せにならないと本当の意味で故人は 成仏しないのではないかと思います。それ故に残された者が悲しみにくれているだけではいけない、やはり自分が幸せにならないといけないと考えを変えないといけないのではないかと思います。残された人生がどうなるかは解りませんが、もう一度自分の 幸せに向かって生きていこうと考えています。
2017年11月18日(土)
妻の死に意味を見出す
今月の15日で妻が逝去してから半年が経過しました。
逝去から辛い日々を過ごしてきました。これほど涙とは溢れ出るものかと思う日もあり、全くの無感覚の日もありました。そうした日々の中で妻の逝去は私に対して何か意味が あるのかと、考えるようになりました。
一人身になって、これ程人生や死を真摯に考えた事はなかったと気が付きました。もし妻の逝去と言う運命に遭遇しなければ、それが一番私には良い事には違いありませんでしたが、しかしこの運命に 遭遇する事により本当に底知れぬ寂しさや恐怖を味わった結果、人生を、そして死を(特に自分自身の死を)深く、深く考える事になったのです。
私にとって妻の逝去の意味は、残された自分の人生をみつめ、人生を諦めないで、真摯 に生きて行く事に意味があり、それが本当の意味で妻の供養になると理解しました。
これから自分も老いていきます。この先、永遠に一人身が続くのかと考えると不安や寂しさは払拭できまえんが、それでも妻の元へ急いで行く様な事は 考えず、故人が生きたくても生きれなかったこれからの残りの人生を、故人に代わって生きていくんだと考える、それが本当に故人の供養になると信じています。
自分自身が幸福に至る事も故人の供養になると考えています。人生を諦めない生き方 とは、どのような人生を指すのでしょうか、、、?それはやはり日々の生活が明るく不安のない穏やかな人生を指すのだと思います。
人生を諦めなければ何時かその日がやってくると希望を持って生きていかなければならないと思っています。
2017年11月11日(土)
回復はいつに
今月の15日で妻が逝去してから半年になります。今の心境として心の回復はいつ訪れるのかなと言う気持ちです。やはり悲しみは突然襲ってきます。仕事の帰り際などに、時々寂しく空虚な感覚が襲ってきます。家に帰り落ち着いた瞬間に 突然涙が流れます。特にあれこれ考えている訳でもありませんが、突然涙が出てくるのです。
時の流れに身を任せて生活しないで、何かと気持ちを外へ向けて自発的に行動しているのですが、なかなか日にち薬とはいかないのが現実です。 心の奥深くに潜在する過去に対する自責や後悔の念は時と場所を選ばす突然噴出してくるものだと心して置かないといけないものであると実感しました。
2017年11月04日(土)
自助グループに
参加しました
自助グループの会に参加してきました。不思議とグループで皆とワイワイとディスカッションしたあとは、なぜか寂しくなります。やはり多勢の時は寂しさがまぎれているのでしょうね。一人家に帰ると孤独感が募ります。でも昔程は沈みませんが、寂しさ には違いありません。この寂しさの根本は何なのかと、いつも考えます。多分分かち合えない相手が居ないの一言に尽きます。人間も動物なのだと思います。群れで生きる習性があるのでしょうか?最近、寂しさの原因は自分の記憶、即ち思い出に あるのだと思うようになりました。今、自分の心の中には妻との思い出が満タンになっています。だから新しい思い出の入り込む余地が無い、言い換えればハードディスクが満杯の状態です。容量の多いディスクに買い換えるか、今入っているデータを 削除して新しい思い出の入るスペースを確保するしか方法はありません。心を買い換えるなんて無理な相談です。
では、古いデータを削除するしか方法はありません。これから生きていく為に必要な新しいデータを入れるスペースを確保する必要が あるのです。前向きに生きる為の新しい思い出、即ち新しいデータを入れて生きていかねばなりません。これから少しずつですが、古いデータを削除して行こうと決心しました。前を向いて歩いて行く為に。
2017年11月03日(金)
今月で半年
妻が亡くなり今月で半年目を迎える。亡くなってからは半年ですが、入院していた時からは、はや一年が過ぎています。11月は妻が最悪の病院に入院していた時期である事を思い出し、その時の辛さがぶり返して仕事中に思わず涙が 出そうになりました。やはり辛い時の思い出は時を越えて襲ってくるものだと怖くなりました。どうにか涙を堪えて仕事をこなしましたが、本当に辛い思いをしました。いい思い出だけを心に残しておかないと何時までも辛い思いが襲ってくるように思います。
2017年10月30日(月)
枯れない涙
なかなか涙は枯れてくれない。こんなにも溢れるものなのだと思い知らされました。最近、特に悲しみを意識するようになってきたようだ。やはり妻の居なくなった日々を続けていると、どうしても一緒の時と無意識に比較しているのかも知れない。 そこに、存在しない事は解りきっているのですが、それがとても悲しい。こんな生活に慣れるのだろうかと考えてしまう。慣れるしかないのだけれども。伴侶の存在感を思い知らされ、一人身の孤独を否応なしに味わっています。
2017年10月21日(土)
一人ぼっちの誕生日
今日65歳の誕生日を迎えました。一人ぼっちの誕生日は初めての経験です。自助グループへは本日参加してきましたが、誕生日は自宅で一人で(正確には家内の遺影と二人ですが)過ごすことになりました。切なく寂しい気持ちです。 毎年小さなショートケーキで祝っていましたが、今回は祝う気持ちにはなれなくて、コーヒーだけで済ませました。目出度くも無く、何も感じられない誕生日でした。
2017年10月18日(水)
日にち薬は効かない
日にち薬は効かないような気がする。今日で5ヶ月と3日経過した。喪失当初より現在の方が落ち込みが激しく感じる。まだまだ涙も尽きない。只日にちが過ぎるだけでは駄目なのだと思う、何か行動を起こして生活に変化をもたらす事が 必要だと実感した。毎日ボーとしているだけでは何の薬にもならない。ただ、侘しさが募るだけだ!妻の写真を見ては涙ぐみ、自責の念にかられ、本当に辛い毎日が過ぎて行くだけだ。何か行動しないと。
2017年10月13日(金)
やはり寂しい
やはり休日は家に一人いると寂しい。買い物以外は外に出ないので誰とも会話がない。兄嫁と電話で話しただけ、なかなか一人暮らしには慣れない。32年間二人で生活してきたのだから当たり前と言えば当たり前の事だよね。この寂しさを 皆はどのように耐えているのかな?やはり我慢するしかないのかな。酒でも飲めばいいのかも知れないが、飲めが逆に寂しさが募るのが解っているので酒には手がだせない。本当に辛い!
2017年10月07日(土)
孤独感が募る
最近、ますます孤独感が募る。日が経つにつれてますます孤独を感じるようになってきた。辛い、寂しい、そんな気持ちが払拭できない日々です。昔のような気持ちには戻れないのは理解していても、最近の感情、気持ちは本当に辛い。 昔の穏やかな日々が本当に嘘のような、そんな辛い日々を過ごしている。いくら考え方を変えても、やはり一人の寂しさは取り除けない。人は、過去、現在、未来の順で考えるらしい。
辛い過去があるから現在の辛さがある以上、未来を明るく 考える事は難しいとの事。本当にそう思う。今、頭に浮かぶのは未来の寂しい自分の姿だけだ。なかなか明るく前向きにはなり難い。
2017年10月03日(火)
妻の魂は今何処に
自分の考え方を変える以外に、安らぎを得る方法は無いという結論を出した。そして今、考えているのは妻の魂の居場所である。私は特定の宗教を持たない。しかし、様々な書籍から得られた考えから肉体を離れた魂はやはりこの壮大な 地球を含めた宇宙空間の何処かに存在しているような気がする。天国とも浄土とも異なった居場所があるような気がしてならない。ただ、この娑婆の生活とは比較対象にならない程のやすらぎの空間であると言われている。そんなところに居るの だから、われわれ生きている人間は安心して日々を精一杯生きて行かなければならないと考えることにしました。
2017年10月01日(日)
自分の考えを変えるだけ
今日は、今現状の辛い状態はなぜ続くのかと哲学的に考えている。妻が逝去したのは事実、変えれない事実。だからこの悲しみがある。だからこの悲しみは無くならない。悲しみが存在する以上、この辛さは続く。ならばどうすれば今の この辛い状況から脱出できるのか?それは自分の考えを変えるしか方法は無い。それが僕の結論だ。妻の逝去の事実は変えれない。ならば変えれるのは自分の考え方だけだ。それに気づいた。では自分の考えをどう変えるかだ!
2017年9月30日(土)
供養とは、忘れないこと
今日は、音楽を聴いていたら急に号泣スコールが来ました。何かにつけて思い出しては涙します。仏教では、供養とは忘れないことと言われますが、本当に忘れることなんて出来ません。だから、この号泣スコールも亡き妻の供養になって いるんだと考えています。来月は私の誕生月です。65歳でシングルになるなんて思ってもいなかったから本当にこれから先、どんな人生になるのやら。
2017年9月28日(木)
まだまだ涙が尽きません
今日は朝からセンチな気分です。なかなか涙は尽きません。ネットで様々な喪失体験を拝見して、本当に沢山の方が伴侶に先立たれ悲しみに暮れているのがよく解りました。しかし、なかなか自分の身に生じた喪失は癒えません。 何年も掛かるのだろうと思います。こころが癒えるまで長生きできるかどうかも解りません。でも、こんな悲しみを妻にさせる事が無く、自分で良かったとしみじみ思います。だから妻は逝去したが、僕がこの悲しみから妻を救ったんだと考えることに します。そう考えると少しはこころが軽くなるような気がします。そうだ、僕は妻をこの悲しみから救ったんだ、、、。
2017年9月24日(日)
寂しさと希望が交差します
今は、寂しさと希望が交差します。日曜日一人で家にいると寂しさが募ります。時間を持て余している自分がいます。パソコンをしていても静か過ぎて一人を感じます。時折これではいけないと思い希望を持って何かをしかけるのですが やはり、寂しさの力が強すぎて元の木阿弥に戻ります。お昼からは外に出ようと考えています。家に閉じこもりは絶対に精神的に良くないのは解っています。外気に触れるだけでも違います。これから何年このような憂鬱な日々が続くのかと考える ると、より一層辛さが増します。
2017年9月22日(金)
最近、悲しみが募ります
今日で、4ヶ月と1週間経ちました。しかし、より悲しみが募るようになってきました。今よりもっと辛い時があったはずですが、今の方が一層悲しみが募ります。
やはり供養の段階を一通り終えて何もする事が無い状態がいけないの かも知れない。何かする事がある状態が精神的には良いのかも知れません。休日などは一日家で、ボーっとしているだけでは駄目なんですね。まあ、まだ一周忌も終えていないので当然だと考える事にして耐えていきます。
2017年9月16日(土)
思いっきり号泣です!
不思議です、ここ二三日まったく泣いていないのに今日急に号泣スコールです。独りの寂しさが急に襲ってきました。妻の写真を見て号泣しました。妻の写真に向かって、どうして一人で逝ったの?僕もそちらに行きたい!と、叫んでいました。 本当にこころが安らぐ感覚が無くなってしまったようです。いつも何がしか緊張している自分がいます。まだ、4ヶ月だから当然と言えば当然ですよね。日が経つにつれてこんなに辛くなるなんて想像していませんでした。
昨日15日は妻の 月命日でしたので、一心寺へお参りに行ってきました。その時も泣かなかったのに、どうして今日はこんなに辛いのか分からない。回復日記のつもりで書き始めましたが、回復なんていつの日やら?
2017年9月12日(火)
やはり、駄目です!
何を悲しんでいるのかと、数日前に悟ったように言いましたが駄目です、突然今日も特に意識の無い中なのに急に号泣スコールです。
どうしてだろう、供養も終わり、する事が無くなり気が抜けて悲しみが突然くるのかも知れない。 その時は本当に妻の元に行きたいと願って泣いています。そして、亡き妻に早く帰って来てと哀願しています。弱いものですね、ここ二三日泣かなかったので安心していたらこの有様です。でもこれで正常なんだと自分に言い聞かせています。
2017年9月8日(金)
何を悲しんでいるのか
今日は、仕事中に少しセンチになった。そこで、ふと考えた。自分は何を悲しんでいるのか、逝去した妻の事を思い悲しんでいるのか?それとも独り遺された、哀れな自分を悲しんでいるのか?そうだ、自分を哀れんで悲しいのだ! そうに違いないと確信した。
自分を哀れんでも亡き妻は帰ってこない。ならば自分を哀れむのはやめようという気持ちになった。そして、気持ちの切り替えをしたら急にこころが軽くなった。今日はまだ、一度も泣いていない。
2017年9月6日(水)
自分自身の再生について
昨日は遺族自助グループでの自分自身の再生についての不服を述べましたが、自分自身の再生は自分が行うのであって、他者からの働きかけを期待しては再生はおぼつかないのだと悟りました。遺族自助グループの働きは、孤独の 解消に尽きるのではないかと思います。同じ辛さを共有することで、孤独を排除する。そこから自分自身の立ち直りは自ずから考えて行動する他に道はないと感じました。
自助グループとしては、他者への思想や行動を強要することはタブーで あることから一切そのようなことはない。
2017年9月5日(火)
遺族自助グループへ行く
関西には、色々な遺族自助グループの会があります。私も2ヶ所の会に出席しています。一ヶ所では、月に一度の会合なので、まだ一周忌もたっていない遺族にとっては毎日をもて遊びます。
そこで2ヶ所ほど通うと月に2回は、同じ境遇の方と心の触れ合いが できるので、私はそうしています。でも最近は少し遺族会にも疑問を持つようになりました。
お互いにつらい話を共有できるのは、良いことだと思いますが、ただ、そこから自分自身の再生に向けての取り組みが感じられない。辛い思いをしている のは自分一人でないと認識するのは非常に価値あることだけれども、では、そこからどうしたら立ち直れるのかといった取り組みがほしい。そんな気持ちが最近ふつふつと湧いてきます。
2017年9月2日(土)
今日は穏やかです
今日は休日で、ボケーっと過ごしています。穏やかな日です、号泣スコールも大丈夫ってところです。少し考え方を変えました。自責と後悔で生きることより、故人に対して感謝の気持ちで生きることにしました。まだまだ、号泣スコールは 回避することはできませんが、少なくすることは出来そうです。初盆のお返しも終わり、後は一周忌の法要まで何もすることはありません。
退屈な状況に身を置く事は非常にメンタル的には危険なのですが、故人に感謝で、乗り切れそうです。
2017年9月1日(金)
昨年の入院から
丁度一年経ちました
今日で、昨年9月1日に大阪市立大学付属病院へ入院して一年目になります。昨年を思い出すと辛いので思い出さずに置きます。今日は仕事が休みなので過去は考えないのが一番の号泣スコール防止策です。私と同じ境遇の 方は、どう過ごされていますか?まだ、半年にも満たない状況なら時々の号泣も当たり前でしょうね。日にち薬と言いますが、あと何年経過すれば普通に暮らせるのか?今日は初盆のお返しを百貨店に買いに行きます。まだ、号泣はきていませ んが、どうかな?
2017年8月31日(木)
仕事でしたが駄目でした
今日は仕事を終えて自宅に帰ると、無性に家内の入院時の顔が思い出され号泣スコールが降りました。初盆も終わり、ほとんど供養においてすることがなくなると、やはり考える暇が出来てつい妻の生前の事ばかりを考えています。
仏壇に夕食を供えていると急にセンチになります。外食すればいいのですが、やはり自分だけ美味しいものを食べる事に抵抗があり、なかなか外食する気になりません。家で作る方が美味しくて経済的ということもあり、つい自炊してしまいます。 一人で食べていると無性に寂しさが募るのですが。
2017年8月30日(水)
今日は休みです
今日はシフトで休みの日です。朝、起きてからボーッとしています。やはり朝食を食べないと少しセンチになってきそうです。すぐに朝食とセントジョーンズワート(安定剤のサプリ版)を服用、すると落ち着きを取り戻します。やはり空腹は 精神衛生上良くないのを実感します。とにかく朝起きたらすぐに朝食、これが私にはベストな精神安定方だと思います。
2017年8月29日(火)
やはり仕事です
28日、29日仕事です。やはり仕事が一番です、喪失感からの回復には、やはり何事も忘れて仕事に携わるのが一番です。泣いてる暇なんかありません。
ただ、仕事が終わった時に、一抹の寂しさを感じますが、体も疲れて いてるので、早く自宅に帰りたい気持ちがあり、センチになるのは一瞬です。自宅に戻り、食事して、風呂に入ると睡魔が襲ってくるので、すぐに眠むれそうです。
2017年8月27日(日)
今日は朝から
号泣です
今日は朝から号泣スコールが降りました。日曜の朝、特に何もすることがない朝、つい考えるのは亡き妻のこと。そんな時に妻の写真を眺めていると、思い出すのは過去のことばかり。そうなるともう駄目ですね!
だから仕事に出かけている 時が一番安全です。会社で泣くことは出来ません。お給料もらっている以上仕事に邁進しないといけないので、泣く暇なんかありません。でも、自宅で泣いている時は本当に「妻の元に行きたい」と思って泣いている自分がいます。
しかし 思いっきり涙を流した後は、以外と落ち着きを取り戻している状態になります。だから、泣くのも一種の薬ではないかと近頃思えるようになりました。
2017年8月26日(土)
今日は一日泣かずに
済みそうです
今月八月は、妻の初盆などがあり、七月に比べ精神が不安定な状態です。号泣スコールは突然来ます。まだ、百ヶ日過ぎたところですので、まだまだスコールは避けられません。
先日もスーパーで鉄火巻きの3本で特価の品を 買い、家出一口サイズに切って仏壇に供えたとたん、「昔よく二人でこれたべたなぁ」と思ったとたん号泣スコールです。どうして、こんな思い出のある品を買ったんだと自分を責めました。でも、思いっきり泣くだけ泣いたら少し落ち着きました。
でも、今日はどうにか落ち着いています。泣かずに済みそうです。

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