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書籍から喪失を学ぶ

喪失に対する考え方や勇気を学んだ本から一部を引用しています。

悲しみの中にいるあなたへの処方箋

タイトル 悲しみの中にいるあなたへの処方箋
著者 垣添 忠生
経歴国立がんセンター名誉総長。1941年、大阪府生まれ。67年に東大医学部卒業後、都立豊島病院泌尿器科などを経て、75年から同センターに勤務。2002年4月から07年3月まで同センター総長。同4月から名誉総長。著書に「妻を看取る日」(新潮社)など。
出版元 新潮社

喪失に対する考え方や勇気を学んだ内容のご紹介

Page 1
はじめに
一部紹介
人生の試練、、、。そんなふうに呼ばれる苦境を、自分はこれまで幾度も乗り越え生きてきた、と、ひそかに自負する思いがありました。しかし、妻を病に奪われた、身を縒るような悲しみと苦しみは、想像をはるかに超えた耐え難い ものでした。別れの日一週間、二週間、そしてひと月たっても、いっこうに烈しい苦しみがやわらぐ気配はありませんでした。食欲は全くなく、無理に食べ物を口に入れても味がしない。出勤しようとして玄関で妻の靴が目に入ると、 とたんに涙があふれてくる。外に出て、妻とよく歩いた道にさしかかると、また涙がこみあげてくる。
そんな状態からひと時でも逃れようと、毎晩、浴びるほどの酒を飲みました。ところが、飲んでも少しも酔えないばかりか、妻の 面影が強くよみがえり、胸を裂くような痛みが募ります。「もう、生きていても仕方がない」、溢れるほどの涙を流した後はいつも、そんな思いに駆られました。わたしがこの時期をやり過ごし、生きていられた理由はただひとつ、自死することが できなかったためです。

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Page 12
未知の苦しみ
との出会い
最初に私を襲ったのは、激しい衝動でした。妻は突然死をしたわけではありません。医師である私には、妻があとどれくらい生きられるのか、手に取るようにわかっていました。それでも妻が最後にまぶたを閉じ、息を吐き、からだの力が 抜けていく現実に接したときには、とてつもないショックを受けました。自宅で看取ったため、だれの邪魔も気兼ねもなく、わたしは声をあげて泣きました。この衝撃が去るまでの一ヶ月ほどは、からだに生々しい痛みが走ることがありました。 喪失の悲しみはしばしば「半身を失ったよう」「手足をもがれたよう」と表現されますが、わたしも半身を失ったような感覚や、叫び声をあげたくなるような痛みを、実際の身体感覚として経験しました。 ---中略
自分でも、あのように酒浸りの暮らしをして、よく肝臓を壊さなかったものだと思います。飲酒はまったくお勧めできない、悲しみへの対処法です。それどころか、アルコールに依存するというひとつの症状ですから、 そこから回復できたのは幸運なことだったと、自省しています。

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Page 15
悲しむことに
一心に打ち込む
妻が亡くなった直後の一週間から10日ほどのうちに、急激にこころの状態は落ち込んでいきました。そしてついに、深い悲しみの底にある、硬い岩盤にぶち当たったように感じました。それからおよそ三ヶ月は、その岩盤を 横に移動していったように思います。最悪の精神状態でした。この期間、わたしはひとりでいるときは、ひたすら泣きました。ふとしたはずみで涙が噴出しとまらなくなることは、しょっちゅうでした。妻がよく身につけていた靴、スカーフ、帽子などが 何気なく目に入ったとたんに、元気な頃の妻の姿、その場の様子などがありありと思い出されてきて、涙があふれるようにこぼれてくるのです。日中、仕事をしている際、とくに会議に出たり、多くの人々と接する際には強く自制 していますが、自室にひとりでいるときや、自宅に戻ってからは、何を見ても何を聞いても、妻のことが思い出され涙が出てきます。わたしはひたすら泣き暮らしました。この時期の苦しさは、尋常なものではありませんでした。しかし後で 振り返ってみると、涙にくれて悲しみ抜いたことが、後の立ち直りのためにはよかったように思います。

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Page 17
絶望から立ち直る
転機の時
死別から三ヶ月。季節は桜の頃を迎えようとしていました。祭壇の妻の写真を、冬景色を背景にしたものから春らしいものに変えると、暖かな陽光がこころにも射し込んできたようでした。同じ頃、回復への歩みを進める、 よいきっかけがありました。妻の納骨です。葬儀は妻の希望で行わなかったので、これがはじめての追悼セレモニーとなりました。わたしも妻も決まった宗教をもたず、仏教徒というわけではありません。しかし、妻の両親と兄が既に他界し、 実家近くの寺に眠っています。そこに納骨するのがよいだろうと考え、ご住職に相談の上、百箇日の法要をとりおこなってもらうことになったのです。妻と別れて100日・つらく険しい道のりだったが、なんとか乗り越えことができた。 先に微かな光が射している、、、。思いを新たにすることができました。法事などのセレモニーは、故人のためのものとされています。しかし、遺された者にとってもよい効用があるのだとつくづく実感しました。
実際にわたしは 、これをきっかけに、自分の酒浸りの生活、涙に暮れた生活について、「果たしてこのままでよいのか」「妻がこの様子を見たら何というだろう」という気持ちが生まれたのです。以来、徐々に自分の生活や、 健康のことを見直すようになっていきました。

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Page 25
妻がくれた
あらたな使命
年末年始のことです。わたしは自宅でひとり静かに過ごしていました。別れの日から一年たったこの頃には、かなり元気を取り戻し、おせち料理を味わい、箱根マラソンのテレビ中継を楽しんで観ることができました。 しかし、ほかにすることと言えば散歩くらいしかなく、暇なわたしは思い切って、妻の病歴や、在宅での看取りの様子、その後のわたしの心身の絶望的な状況などを書き記していきました。するとほどなく、「書く」ことが、「わたしを癒してくれる」 ことに気づきました。これまでは、こころの中に存在するだけだった妻の姿が、文字という目に見える形をもって紙面に留められていきます。妻の人生を、碑に刻んでいるようにも感じられました。こうして記録を書きあげたことは、回復 を決定的にしてくれましたが、わたしにとってはそれだけでなく、新たな出会いに繫がりました。後にこの記録が「妻を看取る日」という書籍になり、思わぬ反響をいただいたことは、先に述べて通りです。---中略
ここに至るまでの期間、わたし自身は、たったひとりで悲しみと対峙してきました。悲嘆がすこし和らいできた段階で、グリーフケアについての書籍や研究論文を読むなどしていましたが、「最終的には自分自身の足で立ち上がるしか ないのだ」という思いが強くあったためです。

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しかし、死別の悲嘆の苦しみは、生半可なものではありません。わたしの場合は幸運にも自力で回復することができましたが、そううまくいくケースばかりとは限りません。実際に、死別の悲嘆は自死の可能性すらある、深刻な危機です。 自分が辿ったこの道のりの険しさを思い返すと、多くの方々が、丸腰でこの脅威に立ち向かうのは無謀にも思えます。やはり知識や助けを得ることが必要なのです。
■著者自身について書かれているのは、ここまでです。ここからは著者に宛てられて手紙から一部を引用します。

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淋しさ
その人がいない生活、いない世界に慣れていかなくてはならない。そう思っても、亡くなった方への愛情や関係性が深いほど、死別後の不在感は大きく、遺された方の苦しみも深くなります。四十九歳の奥様を肺がんで亡くされた栗山さん 「52歳」は、その不在感に一年以上、慣れることができなかったと振り返っています。「妻を亡くした直後は、夜帰宅するのが本当に嫌でした」以前は、家のあちこちの部屋から灯りが温かくこぼれていて、玄関を入ると妻の「おかえりなさい」という声が 飛んできました。部屋は暖まっていて、夕食のいい匂いが漂っている。そんな当たり前のことが、どれほど自分を幸福にしてくれていたのかを、暗く寒々しい家に入るたびに実感させられました。妻の入院中も、灯りの消えた家にひとり帰る 状況は同じでしたが、そのときは、「家にはいないけど、妻は生きてくれている」と思えていたので、これほどの淋しさは感じずにすんでいました。
ひとりになってからは、おいしいものを食べても、きれいな景色を見ても、以前と同じように 楽しめません。逆に淋しさがつのるばかりです。夫婦はもともと他人だといいますが、そのひとりの他人がいなくなることは、自分のからだの半分もがれた以上の喪失感です。

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私も、寒い冬に誰もいない家に帰るという、栗山さんと同じ体験をしました。妻と話ができないことが、これほどつらいものとは知りませんでした。今でも苦しんでいます。栗山さんはその後、料理本を見ながら自炊するようになりました。その気に なれば、自分は料理を楽しめそうだと前向きな気持ちで取り組み、それは実際に新しい楽しみになったそうです。ところが、順調に癒えていく道のりでも、突然悲しみがぶりかえす瞬間があります。あるとき茶碗蒸しを作ったのですが、いざ火に かけようというときになって、蒸し器のある場所がわからなかったのです。妻が使っていたので家にはあるはずですが、キッチンのあちこちを探しても見つかりません。「彼女はどこにしまったのだろう」と探しているうち、疲れてキッチンのイスに座り込んだ ら、無性に淋しさがつのってきて泣けてしまいました。淋しさはいつでも、どんな場面でもやってきます。それこそ海岸に打ち寄せる波のように、ひいたと思ったらふたたび戻ってきます。これは大切な人との死別において決して避けられない苦しみと いえるでしょう。
しかし、もし淋しさが強くあまりに苦しければ、悲しみを理解してくれるだれか、安心できるだれかと過ごした方がよいかもしれません。人の温もりに接することは、予想以上に救いになるのもです。「人に頼りたくない」 「自分の情けない姿を人に見せたくない」「家族や知人に迷惑掛けたくない」「涙が出るから死別については話たくない」と考える方もいると思います。

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そんな時には、悲嘆の苦痛を理解しているグリーフカウンセラーなどの専門家を訪ねたり、同じ状況にある方が集まる死別体験者の「分かち合いの会」などに参加されるのもよいでしょう。ひとつ留意していただきたいのは、「身代わり」 についてです。喪った方の不在感を埋め合わせるために、悲嘆のさなかに身代わりを求めるケースがたまにあります。たとえば、伴侶を喪った方が淋しさのあまり結婚相談所に登録してお見合いを重ね、再婚を急いだり、お子さんを失くされた ご夫婦が、死別後すぐにあらたなお子さんをもうけようとするケースです。
もちろんあらたな絆、あらたな命を求めることは、決して間違ったことではありません。しかし、淋しさから逃れるために求めるのはよい結果をもたらしません。 一時的ななぐさめ、あるいは喪失感の埋め合わせに一役かうことはあるでしょうが、苦しみを根本的に解消することにはならないのです。自分の抱える悲しみを、ゆっくりとでもいいから癒しきることが大切です。
Page 58
後悔・罪悪感
懲罰意識 1
過去のことは変えられない、悔やんでも仕方が無いと口でいうことは簡単ですが、愛する人の命にかかわることについての後悔は、なかなか消えません。「どうしてあの人が死ななければならなかったのか」というだれもが抱く思いは 「どうすれば死ななくてすんだのか」という考えにつながります。そして、「あの時にああしていれば亡くならなかったかもしれない」と後悔したり、「自分が至らなかったせいだ」と罪悪感をもってしまうことがあります。後悔したり罪悪感をもつ 事柄について、実際はその人には責任がない場合がほとんどです。しかし「死なないでほしかった」という強い思いが、自責の念を生じさせてしまうのです。---中略
一般の方はたいてい、病気になるまでは医療についての知識が あまりありません。実際に深刻な病気の診断が出てはじめて、その病気や治療法について知ることになるのです。そういう状況で、担当医の説明をきちんと理解し、セカンドオピニオンを求めてほかの医師にも相談し、治療法の選択肢 をもらさずピックアップし、それらのメリット、デメリットを比較し、その上で患者さんの生き方にそった治療計画をたてるなど、なかなかできるものではありません。しかも、たとえ完璧な治療計画を立て、患者本人も家族も医師も納得して 治療をおこなった場合でも、「やっぱりああすればよかった」と後悔することがあるのです。

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Page 63
後悔・罪悪感
懲罰意識 2
では、後悔・罪悪感を抱いている方は、どうしたらその苦しみを解消できるのでしょう。内富医師は、こう述べています。これは程度の問題です。軽度の方であれば、理論的に説明をして「あなたには全く落ち度はありません」「あなたは よく看取られました」と言葉をかけることで納得されることが期待できます。合理的な考え方を示してご本人のかたくなな思い込みをほどくと、後悔や罪悪感が解消されていくのです。もう少し重い方の場合は、理性に訴えることにくわえて、こころ を救うケアが必要です。状況や苦しみを深く理解した上で温かいねぎらいの言葉をかけ、こころを包み込むようにケアします。医師に相談し、軽いお薬を使って質のよい睡眠をとることも場合によっては必要です。からだはこころを入れる大事な 器ですから、睡眠・食事によって正常な状態を維持できるようにしてあげないと、こころのほうも回復基調になれないのです。

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さらに重症で、こころが疲れすぎている状態になりますと、抗うつ薬をはじめ、医師による専門の治療を受けていただいた方がよいでしょう。また、アルフォンス・デーケン先生は、後悔や罪悪感に苦しむ方々にたいして、「ああしてあげればよかった」 「こうしてあげるべきだった」と悔いるよりも、故人の永遠の幸福のために祈るという、積極的な態度を勧めたいとおっしゃっています。

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Page 64
後悔・罪悪感
懲罰意識 3
もうひとつ、知っておいていただきたいことがあります。罪悪感がうまく解消されず悪い状態に進行してしまったときに生ずる「懲罰意識」です。これは罪悪感のあまり「自分は罰をうけるべきだ」と思い込んでしまい 「自分が楽しむことは許されない」「幸せになってはいけない」と考えてしまう状態です。この段階にある方は理屈でなんとなぐさめても聞き入れることができないことが殆どです。自分を罰する目的で好きな食べ物を断ったり 、娯楽を避けたりするのですが、ときには拒食症になる、自傷行為を行うなど、深刻なケースも見られます。---中略
そんな時は、専門家のカウンセリングや医師の治療を受けることをお勧めします。そしてもうひとつ わたしが提案したいのは、後悔や罪悪感に苦しんでいる自分に、亡くなった方が何というか想像してみることです。故人は、あなたと同じようにあなたを責めるでしょうか。「充分によくやってもらえたよ」「大変だったでしょうけれど 最期まで面倒みてくれて本当にありがとう」「もっと幸せになりなさい」、そのような声をかけてくれるのではないでしょうか

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Page 98
絶望 うつ
自分の状態が病的なのかどうかを本人が判断するのはなかなか困難です。しかも死別体験者の方々は、「あれだけ辛い出来事があったのだから、落ち込むのも当然」と考えがちで、受診が遅れることがあります。 しかし、「眠れない」「食べられない」「仕事や家事が以前のようにこなせない」「悲しみで疲れてしまって休みたい」「この苦しみに耐えられそうにない」「限界かもしれない」という状態でしたら、迷わず診療内科の医師を 訪ねて下さい。死別を体験した方が激しい苦しみ、深く落ち込むのは自然な反応ですが、それが悪化してしまうと、どんどん活動する意欲が失せ、人と会ったり、外出することが困難になり、孤立した状況で苦しみを抱ええるように なります。ますます治療が必要な状態であるのに、医師の治療を受けようという「やる気」や「行動力」が失われてしまう。これは大変心配な状態です。現在うつ病んは有効な治療法がさまざまあります。基本的にはカウンセリングと 投薬治療が中心になりますが医師によってはリラクリゼーションテクニック、運動療法、認知行動療法などを併用します。

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Page 104
からだの異常
悲しいショックを受けた時、「胸が張り裂けるような痛み」「胸にナイフを突き立てられたような痛み」などを感じるように、こころとからだは密接に関連しあっています。実際にわたしたちが恐ろしい体験をすると、神経系、内分泌系を はじめ、瞬時に生理科学的な反応が起こり、その影響は全身に広がります。心拍数と血圧は上昇し、手のひらや足の裏には汗をかき、血液が脚部に集中し、血糖値が上がって瞳孔が開きます。胃腸の運動は低下し、消化液の 分泌も減少します。からだが、こころの状態の大きな変化と無関係でいることは出来ません。よって死別という大きな衝撃を受けこころに傷を負った方には、時に心身症が現れることがあります。---中略
症状は多岐にわたります。悲嘆を抱える方からとくによく聞かれるのは、のどに大きな塊がつまっている感覚があるというような、のどの異物感、違和感の訴えです。この特有の感覚について「涙がのどまで上がってきている感じ」 と表現する人もいます。

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人前で泣くまいと涙や嗚咽をこらえると、のどに緊張感や圧迫感、ひきつれるような感じが生じます。それに非常に近い感覚だとおっしゃる方もあります。実際にこの症状は悲しみが発散されずに抑圧されているときほど、強く現れる傾向があり ます。「泣くことができない」「家族のいるところや人前では悲しみを表に出さないように頑張っている」という方に多くみられ、「しばらく泣いていなかったら、症状が出るようになった」とおっしゃる方もあります。---中略
これらの 症状も、悲嘆が原因で生じた場合には大きな問題に発展することはありませんが、頻繁に強い症状が出たり長引いたりするなどして、精神的に負担が大きい、あるいは生活に支障があると感じるようでしたら、医師に相談されるとよいでしょう。

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Page 111
純粋な悲しみ
死別後の後にはさまざまな反応が起きるように見えますが、実はどれもこれも、悲しみが多様に姿を変えたものにすぎません。すべての本質は悲しみです。わたしたちは悲しいから怒り、悲しいから罪悪感をもってしまうのです。無理は 禁物ですが、表面的な症状が怒りであろうと罪悪感であろうと、自分なりのペースでそれらの奥底にある悲しみときちんと向き合っていくことで、悲嘆の治療はスムーズに進んでいきます。むしろ、わたしたちが死別の苦しみから回復する にはそれしかありません。悲しみから逃げ、悲しみと対面することを避け続けたまま癒えていくことはできないのです。わたしの場合も、とことん悲しみぬいたことが、悲嘆から立ち直る大きなきっかけになったように思います。---中略
立ち直った方々が語られているように、悲しみは少しずつ氷解していきます。悲嘆のさなかにあるときには、出口が見えず、自分はいつまで苦しまなくてはならないのかと将来に絶望するような思いを抱くかもしれません。また苦痛に耐え 続けて疲れきった自分を無力に感じ、ふたたび社会で活動することなどとてもできそうにないと思うかもしれません。
しかし、悲しみはかならず治癒し、わたしたちはまた喜びを感じながら人生を一日一日築いていくことが出来ます。

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Page 180
おわりに
現在、日本では年間に亡くなる方が114万人を超えています。これがあと20年もすると、160万人~180万人が亡くなる時代が確実にやってきます。そのひとりひとりの周囲には、死別の悲しみを背負った方々が 存在するのです。そうした状況下、悲嘆教育、自殺防止教育、交通安全教育などを含めた、「死への準備教育」の導入が必要だと痛切に思います。死をどう避けるか、避けることができなかった時にはどう対処するかと いうことは、だれにとっても必要な、生きていく上で大切な知恵です。しかし日本では、今でも死がタブー視される傾向があり、80パーセントを超える死が病院でしばしば密室化された中で起きています。日常の生活とは まったく無縁の出来事として死が扱われ、死を学ぶ大切な機会が人々から奪われているのです。また、現在の医療現場はきわめて多忙で、患者さんが死亡し退院した時点で、関係は断ち切られてしまいます。 本当はそこから遺された者の苦しみ、悲しみが始まるわけですが、それに対する支援の方策が整っていません。

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また、残念なことに、現在では宗教の多くも充分な支えになっているとはいえませんし、遺族のことをさりげなく見守る地域体制も不足しています。膨大な数にのぼる「遺された人々」のこころを、どのように救うことができるのか---。 この国民的な課題を前にして、やはりわたしは、より多くの方にお伝えしたいとおもいます。ひとりひとりが死を学び、悲嘆を学ぶ。それが自分の危機を乗り越える大きな力になり、同時に悲しみに苦しむ人を支える力にもなると思って いるからです。
---中略
妻を見送る体験を経てわたしは自分の死についても思いを馳せるようになりました。いつか自分が旅立つときがきたら、わたしは自分の骨を妻の遺骨の一部とともに奥日光の森閑とした湖畔に 撒いてもらいたいと思い、その準備をしているところです。粉々になった骨は土に紛れ、春には野草の芽吹きに押しのけられながら、陽光の温もりに包まれるでしょう。夏の嵐に洗われ錦繡の絨毯に抱かれ、純白の深雪に清められ 。そうして自分のこのからだが、妻とともに自然の一部に還っていくことを、わたしは自然からいのちを得てこの世に存在した者として、なにか喜ばしいことのようにも思えるのです。

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