グリーフアドバイスは、喪失経験者から大切な方を亡くされた方へのアドバイスサイトです。無料メール相談を行っています。

死別の悲しみから立ち直りたくないのは・・・

 日本グリーフ・ケア・センターの『支える会通信』より引用致しました

日本グリーフ・ケア・センター2007年12月10日発行の『支える会通信』に掲載されたものです

死別の悲嘆反応には様々なものがありますが、当事者以外に思いのほか気づかれていないのは、「死別の悲しみから、立ち直りたくない」と考えている人たちが多いという事実です。暗い悲嘆感情からは誰だって早々に抜け出したい のだ、と考えがちですが、実際にはそうとは限りません。悲しみから立ち直りたくないと考えている人たちは意外に多く、そのことが理解されていないために、不必要な摩擦を引き起こすこともしばしばあります。

悲しみと共にもうしばらく 居たいと思う人は、回りの人々から「もうそろそろ元気を出されてはいかがですか」とか「そういつまでも悲しんでいては、亡くなったご主人が(奥様が)悲しみますよ」などと度重ねて言われるために、その人たちに気兼ねをして、心の準備も、納得も ないままに、無理やり立ち直るのを「強いられ」たり、立ち直ってもいないのに、立ち直ったように「振る舞わされ」たりしていると感じています。

 立ち直りをお手伝いする「支える会」に、「立ち直りたくない」と考える人たちが参加するのは、一見矛盾したことのように見えますが、矛盾でも何でもありません。悲しみから「立ち直りたくない」と考えること自体が、実は、深い悲嘆の状態にあること を示しているからです。

「立ち直りたくない」という感情は、どのように理解すればよいのでしょうか。ごく初期の悲嘆反応に、「死の否認」と呼ばれる状態がありますが、これは、それととてもよく似たところがあります。
 「死の否認」というのは、愛する人の死を目撃ないし知覚した直後に、一瞬あるいは数分間、数時間、数日、長くて数週間から数ヶ月間のあいだに見られる、茫然自失状態を指して言うのが普通ですが、もちろん、すべての人が体験する わけではありません。
心理学的には本能的な自己防衛反応と呼ばれるもので、愛する人の死があまりにも衝撃的であるため、それをまともに受け止めたら、自己の崩壊にもつながりかねません。そこで意識のほうが本能的に麻痺し、 茫然自失することで、衝撃を和らげ、自己崩壊を回避するものと考えられます。

茫然自失は、一瞬の出来事として終わるのが普通ですが、悲嘆反応としての「死の否認」は、様々な強度と形をとりながら、ほとんどの人がその後も長く 体験することになるのが普通です。

 悲嘆反応としての「死の否認」も、自己防衛反応のひとつと言えます。茫然自失の状態が過ぎ、感情が回復されてくるとともに、愛する人の死の衝撃性が改めて意識され始めます。 衝撃度が強ければ強いほど、精神の安全を保持するためにも、愛する人の死を意識的、無意識的に否定して、「あの人はまだ死んではいない」と思い込んだり、海外出張を想定したり、様々な形で故人の生存情況を空想し、仮想します。
それが「死の否認」と呼ばれる状態ですが、それには重篤なものから、むしろ自然で健康的なものにいたるまで様々あることを忘れてはならないでしょう。死別後、外界との接触を一切絶ち、故人の部屋に長期間にわたって閉じこもるよう なことになれば、それは重篤な否認症状と言わなくてはなりませんが、帰宅するたび玄関口で「ただいま」と挨拶し、仏壇やお墓の前で語りかけるのも、死者の「生存」を意識的、無意識的に想定して行う否認の一形態ということができますが、 こちらのほうはむしろ健康的な死の否認で、心のバランスの調整剤としては、この上もなく好ましいものということになるでしょう。

 「茫然自失」や「死の否認」、そして本文の主題である「悲しみからまだ立ち直りたくない」という感情、 これら三様の感情に共通するものがあるとすれば、それは、愛する人の死をしばらく「保留」したい、言い方を変えれば、なおしばらく「生死未分化」の状態に押しとどめたいとする心理である、と言うことができるでしょう。

 なぜ、 人は死を「保留」にし、「悲しみと共にもうしばらく居たい」と思うのでしょうか。こんなふうには考えられないでしょうか。「悲しみ」と共に居たいと思うのは、心のどこかで、「死」や「悲しみ」を「愛する人」その人として想定し、それ故に、その死や悲しみ と同一化していたいと考えているからではないだろうかと。
 そう考えると、「悲しみ」というものの本質が少しわかってくるような気がします。悲しみとは、愛する人を「失う」ことから生じていると、私たちは単純に考えがちです。確かにその通り ではありますが、しかしもっと適切な理由を言えば、愛する人が「いない」からというよりは、愛する人が「いて、いない」からだということでしょう。心のなかには愛する人が確かに「いる」のに、現実には「いない」のです。

 悲しみは、 心のなかの愛する人と「共にいる」ことから生じています。それが証拠に、愛する人が徐々に心から遠退くにつれ、悲しみもまた徐々に薄れていくのを私たちは経験的に知っています。だからこそ、悲しみともうしばらく一緒に居たいと思うのでしょう。
 愛する人としばらく共に居たいと思う理由はいろいろでしょう。伴侶と共にあるこの優しさの世界にもうしばらくいたいから。とげとげしい現実に立ち戻るのをもうしばらく延期したいと思うから。しかし多くの人にとって何よりも大きな理由は、もうしばらくのあいだ、 愛する人と悲しみを共にし、互いの越し方を振返り、感謝し、謝罪し、和解し合い、心ゆくまで弔いの勤めを果たしたい、と思うからではないでしょうか。
 それぞれの人には、それぞれに割り当てられた弔いの時間というものがあるのです。その時間を満たして初めて、悲しみは、その厳しい表情を和らげ、癒しと平安に変貌してくれるのかもしれません。


日本グリーフ・ケア・センターのホームページへ  (代表 中央大学名誉教授 長田光展)

↑ PAGE TOP


↑ PAGE TOP