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妻喪失後の死生観

半年を経過した今の死生観

日々の生活がシンプルに、そして欲が無くなった

妻が他界してから、11月で半年を迎えます。最近の生活はシンプル且つ無欲になりました。ほしい物など特になく、贅沢な事をする気も無く、日々無欲な生活をするようになりました。過去に於いては何事も二人がペアで行動していたので すが、今は一人の単独行動であり、何事も半分の費用で事が足りて、金銭的にも欲が無く、全てに於いて無欲です。しかし生活に不足は無く、毎日の暮らしが苦も無く楽も無くと言った状態です。死生観ですが、妻の逝去についての今の考えは 妻は森羅万象の世界に戻っただけだと、人間はいつか死ぬ、そして生まれる前の処へ帰って行ったのだと実感できるようになりました。だから今の妻には苦しみなどなく、妻の事を案じる必要は無いのだと思えるようになりました。だから節目、節目の 時は、妻を思い出し供養をして妻の安泰を祈り、そしていつまでも自分を哀れみ悲しみにくれる日々を過ごしてはならない、それが妻への供養になるのだと信じられるようになりました。自分が幸せに毎日を過ごせなければ、妻も幸せにはなれないのだと 考えるのが正しい事だと信じています。

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妻喪失後の死生観

妻を亡くし、死生観は完全に変わりました。

妻の死を受け入れるとともに、自分自身の死を意識するようになりました!

妻の死を本当に受け入れているのか、どうか、自分でも分からない。ただ、もう、二度と帰ってはこない、その事実だけを認識しているだけかも知れない。帰っては来ないが、まだ、どこかに居るのではないかと思うときがある。 妻の死は、自分の死を深く考えさせられる結果になった。
現在64歳ですが、あと、僅かな人生のような気がしてならない。根拠も何もないが、妻の死がそう思わせる。それとも早く、妻の元に行きたいという気持ちがそう思わせるのか。 死生観については、欲がなくなった、妻を救えなかった罪悪感から、誰かを救えないか、そんなことを毎日考えるようになった。
このホームページ作りもその一つです。誰かを救うなんて大儀名文もいいとこですが、何かに打ち込んでいないと 寂しさがこみ上げてきます。なかなか妻の死を受容、回復なんてことにはなりません。
私たち夫婦には子供がいなかったので、本当に一人を実感しています。1年半前の兄の急逝も一段と孤独に拍車をかけます。
初めての 一人暮らしが始まりました。想像を絶する孤独感に襲われる時があります。でも、全国でひとり暮らしのご老人は500万人以上との事。自分にも耐えれないはずはないと、言い聞かせています。

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