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自責と後悔

死別後、頭を離れない自責と後悔

妻との死別後、常に頭を離れない思考に「自責と後悔」があります。

自責と後悔について、まず初めにこれだけは知っておいて下さい。
死別体験による対象喪失の後には抑うつ症が続き、死別体験をした精神科の患者と、患者でない未亡人の悲しみと比較すると、死別に対する病的な反応 には過度な罪の意識と自責の念が特徴的にみられるということが確認された。 引用---(死別からの恢復(かいふく))遺された人の心理学 C・M・パークス/R・S・ワイス 著
上記の様に遺された人が、過度の自責と後悔により 精神的にも、かなりのダメージを負うことがあります。
私も、数十冊の死別と喪失に関する本を読みましたが、どの本にも共通したこと、すなわち自責と後悔について述べてあります。
エリザベス・キュブーラー・ロスは「永遠の別れ」の 中で、懲罰意識として次のように描いています。「もっと善行を積んでいれば、こんなことにはならなかったかもしれない」「自分は欠点だらけの人間だが、こんな罰をうけるほどの罪は犯していない」そのとおりだ。罪など犯していない。われわれは 「正しく生きていれば苦しむことにはならない」という合意のもとに生きている。しかし、人間が生きるということは、死を知るということだ。つまり愛するということは、最終的には、手にしていた愛という恩恵を失うことなのだ。
ある人にとっては 、罰という観念は宗教から教えられたものであり、罰するのは神である。行為には結果がつきものだ。しかし、カウンセラーとしてのわたしたちは、喪失が罰として与えられたものだとは考えていない。愛する人を失ったとき、われわれは自分が犯した ちょっとした過ちが大きなものにみえ、罰せられていると感じてしまいがちだが、大いなる愛の源である神がわれわれにそのような苦痛を授けるはずはない。生のあとには死がやってくるが、罰はけっして神が愛のために与える結果ではありえない。

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またC・Mサンダーズは「死別の悲しみを癒す」の中で自分自身と故人に許しを与えるのとして、次のように述べています。「医者に行くようにジョンに強く勧めなかったことで、私は自分自身を決して許すことができない。」「あの五月の初め 頃、アリスが学校から帰ってきたときにすでに兆候はあったのに、なぜ私はそれを深刻に受け止めなかったのだろう?」「あんな雨の日になぜ、一週間前に免許をとったばかりのボビーに車を運転することを許したのだろう?」
これらのケースは どれも、愛する人の死の原因を自分に課し、自身を許すことができないでいる例です。同じような後悔の気持ちを味わったことのある人は、その思いがどんなにつらいものかわかるでしょう。
自分がやった行為、やらなかった行為に関して 自分自身を許せるようになるまで、後悔の念は何ヶ月も、時には何年も私達を苦しめます。たいていの場合、「癒しの時期」に入ってやっと私たちはこの苦しみの源である後悔の念から解放されます。
二つ目は亡くなった人を許すことです。 つまり、私たちを置き去りにし、これほどの苦しみを与えたことについて故人を許す必要があるのです。先立った愛する人を許すことは自分自身を許すことよりむずかしいことです。なぜなら、多くの場合このプロセスは無意識のレベルで起こるから です。孤独と何ともやりきれない気持ちが私たちの予備のエネルギーまで使い尽くし、許しの気持ちが出てきた頃には私たちは疲れ切っていて何が起こったのかわからないということもよくあります。
許しはゆっくりと、少しずつやってきます。 許すことができるようになったとき、それはあなたにとって大きな救いとなるでしょう。

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自責、後悔への対処については、「悲しみの中にいる、あなたへの処方箋」で、次のように述べています。
後悔、罪悪感を抱いている方は、どうしたらその苦しみを解消できるのでしょう。内富医師は、こう述べています。「これは 程度の問題です。軽度の方であれば、理論的に説明をして「あなたにはまったく落ち度はありません」「あなたはこんなによく看取りました」と言葉をかけることで納得されることが期待できます。合理的な考え方を示してご本人のかたくなな 思い込みをほどくと、後悔や罪悪感が解消されていくのです。
もう少し重い方の場合は、理性に訴えることにくわえて、こころを救うケアが必要です。状況や苦しみを深く理解した上で温かいねぎらいの言葉をかけ、こころを包み込む ようにケアをします。医師に相談し、軽いお薬を使って質のよい睡眠をとることも場合によっては必要です。
からだはこころを入れる大事な器ですから、睡眠、食事によって正常な状態を維持できるようにしてあげないと、こころのほうも 回復基調にのれないのです。
さらに重症で、こころが疲れすぎている状態になりますと、抗うつ薬をはじめ、医師による専門の治療を受けていただいたほうがよいでしょう。
また、アルフォンス・デーケン先生は、後悔や罪悪感に 苦しむ方々に対して、「ああしてあげればよかった」「こうしてあげるべきだった」と悔いいるよりも、故人の永遠の幸福のために祈るという、積極的な態度を勧めたいとおっしゃっています。
そして最後に内富医師はこう述べています。
そしてもうひとつ私が提案したいのは、後悔や罪悪感に苦しんでいる自分に亡くなった方が何というかを想像してみることです。故人はあなたと同じようにあなたを責めるでしょうか。「充分によくやってもらえたよ」「大変だったでしょうけれど、最期 まで面倒をみてくれて本当にありがとう」「もっと幸せになりなさい」、そのような声をかけてくれるのではないでしょうか。

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わたし自身の自責と後悔についてわたし自身は、生前妻に対しては本当に沢山の自責や後悔に当たる過去を持っています。詳細は控えますが、本当に嫌な思いをさせたことに間違いありません。今は自責と後悔の念でこころの 中は溢れそうです。

また、癌を患い入院中にも最後の自責と後悔にあたる言葉を妻に掛けてしまいました。妻は食道癌でした。逝去する一週間前まで、どうにか口から水分を摂取していました。特にノンアルコールビールが好きで、多分喉ごしが良かったのだと思います。しかし途中から飲んでは口から吐き出し、飲んでは出しの繰り返しを続けていました。わたしも看病疲れからか、とうとう妻に「飲んでは出し、飲んでは出しだから、もうこの辺でいいだろうって」言ってしまいました。

その後、妻は好きなビールを飲まなくなりました。その一言が今も、脳裏に焼きついて離れません。どうして本人が「もういい」と、言うまで飲ませてやらなかったのか!後悔で一杯で、今、思い出しても辛くてこころが堪らなくなります。

本人はどれほど辛い気持ちで闘病していたのかと、少し冷静に考えれば何でも妻の言う通りにしてやれたのにと悔やまれます。本当にひどいことをしてしまったと思います。罪滅ぼしで、毎日仏壇にノンアルコールビールをコップになみなみとついで 妻に詫びています。

そして、今こころで感じているのは、上記の内富医師の言う、亡くなった故人が何と言うかと考えると、やはり「充分によくやってもらえたよ」って言ってくれていると信じることにしました。わたしが自責と後悔の日々を送るなんてことは、最も妻が嫌うことだと思います。生前の妻は本当に前向きの人生を歩んでいました。わたしも妻に負けないように前向きで残りの人生を歩んで行こうと思います。

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