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悲しみを受け止め乗り越える方法!弟が自死しました、残された家族にできることは?
悲しみを受け止め乗り越える方法!
大愚和尚へのご相談は、看護師をされている41歳の女性の方からの相談です。
弟さんが駅のホームから電車に自ら飛び込み自死され、弟を救えなかった罪悪感に苛まれているとの相談です。
詳しくはユーチューブ動画をご覧下さい。大愚和尚のユーチューブ動画は下記のURLからご覧下さい!
悲しみを受け止め乗り越える方法!
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ありませんが、可能な限り元音声に忠実に文字起こししておりすが、万一テキスト化データに不一致がありましたらご容赦下さい。
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【悲しみを受け止め乗り越える方法!】 文字起こし制作者 運営者 深井
自死したが者が成仏しないなんて誰が言ったかわかりませんが、私はそうは思わない。
ただし亡くなった人が成仏する鍵は残されたものが握っている。
ペンネームマキりんさん、初めまして私は41歳で看護師をしております。
私には兄(42歳)弟(35歳)兄弟がおりましたが、弟が先日駅のホームから電車に自ら
飛び込み自死しました。弟は生前、統合失調症を患い精神科に入院していた
経緯があります。
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第三者から見れば自死の原因は、精神的なことが原因での自殺だと思いますよね。
家族も、そう思わざるを得ません。しかし弟はどんな気持ちでこの世を去ったのか、
ずっと苦しんで生きていることに疲れて、自ら死を選んでしまったのか、今となっては聞くすべもありません。
残された家族は強い喪失感にさいなまれ、特に母(66歳)は憔悴しきっております。
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弟を助けてやる事が切出来なかった悔しさや罪悪感、切なさ・・等いろんな感情が駆け巡り
今までに味わったことのない気持ちで胸が張り裂けそうです。
よく自殺したものは成仏できないとか、地獄で永遠に苦しみを味わうとか、そういった話を聞きますが
どうか教えてください。弟は天国へ行けますか。弟は今も苦しんだままなのですか。
もし残された家族にできることがあるとすれば、どんなことでしょうか。
お忙しいとは思いますが、どうかお導き、ご教授の程よろしくお願い致します。
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人間は死んだらどうなるんでしょうね。
人は死んだらどこへ行くんでしょうね。恐らくマキりんさんに限らず、これをご覧になっていらっしゃる
この動画をご覧になっていらっしゃるすべての方々が、一度はそのような事を考えたことがあると思います。
実は仏教にも人は死んだらどうなるかということが説かれています。
仏教というのは今から2500年前にインドで実際に生まれられたといいますか、生きられた
ゴウトモ(Gautama)シッタ-ルダ(Siddharha)というひとりの人間か〇歳で悟りを開いて
そして80歳ぐらいで亡くなるまでの間、40年余りの間各地を旅しながら人々の悩み苦しみというものに、
一個一個答えていったそれが仏教です。
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その後、2500年の時を経てインドからチベットそして中国、まあその他タイであったりとかスリランカであったりいろんな
そういう方向に枝分かれしながら中国を経て、韓国などの影響を受けながら日本に入ってきたそのシルクロードといわれる仏教の伝道のルートを通って、教えが伝わってくる途中に、その土地土地、その国々の元々あった考え方とか土着の宗教というものの影響も受けながら、日本に至っている。
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この日本仏教と私たちが読んでいるこの広い意味での仏教の中には、様々な死後に対する答があります。
あらためて問いなんですけれども、人は死んだらどこに行くんでしょうか。実は仏教もそうですしキリスト教もそう他の世界宗教といわれる宗教もこの死後に関しては、もの凄く関心があってそれについてのさまざまな限界答えというものを出しています。
マキりんさんが弟さんはどこいったのか、弟は天国にいけるのだろうか、そう思う気持ちはよく分かります。ましてや自分で自死なさったわけですからね。
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天国と言いうのは実はキリスト教の概念です。仏教にも地獄という概念はあります。けれど天国という概念はないんです。(それでは)じゃあ
キリスト教の天国に当たる地獄の反対の概念はないのか、仏教ではそれを極楽と読んでいます。
それで人間は死んだらどうなるのか、人間は死んだらみんな地獄に行くというのが仏教です。えぇー!って思われるかもしれません。
生前、お釈迦様のように悟りを開けて一切の欲、執着、そういったものを離れた人間でない限り人間というのは地獄に一旦行くんです。
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びっくりするのはわずか一カ月とかで亡くなった赤ちゃんですら皆地獄に行くんです。あらゆる人間が悟りを開いていない迷いの世界に生きている
あらゆる人間は皆地獄に行くんです。赤ちゃんですら行くんです。三途の川というものがあってその三途の川というものを、渡って
地獄の世界に行くわけですけれども、三途の川の畔にねある仏さまがいらっしゃるんです。皆、くまな無く人間は死んだら地獄に行く。
それがわずか1カ月2カ月で死んだ子どもで病気で亡くなった子どもでさえ地獄に行く。それはあまりにも切ないいうことでこの三途の川の畔に
ある仏さまが立っていて、この仏さまがまだ犯した罪の少ない子どもたち幼子たちを救い出して、地獄の世界から極楽へ送る。
そのようにして信じられたその仏さまがお地蔵様と云います。
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ですから昔はどこの村にも必ず村の橋にはお地蔵様がありました。昔はたくさん子どもが死にましたからね。医療が発達してませんから
幼子達がたくさん亡くなったんです。私のいるこの福厳寺には、この参道を通ってくる途中にですね、沢山のお地蔵さんがあります。
この辺の地域が土地開発によってね、昔ながらのお地蔵さん、何処にでもあった何処にもあって何百年と小さくして子どもを亡くした
その母親の悲しみを癒してきた。お地蔵さんたちというのは取り壊しになってしまうわけですね。捨てられてしまう、ですからそれを
ずっーと集めてきて、福厳寺の参道にはそういうお地蔵さんが並んでいる。
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とにかく、その幼子というものを地獄の入り口から救い出して下さる。そのように信じられた仏さまがお地蔵さんだった。
ちょっと話がズレましたけれども人間というのは、みんな地獄に行くというのが日本仏教に伝わっている考え方です。
でも、もっと前のお釈迦様というものは、どのように地獄というものを、地獄といいますか死後の世界っていうものを表現されたか、
実はお釈迦様は死後の世界については明言されていません。2500年前の古代のインドには、すでに当然人間にとっての最大の苦しみとしての
死というものがあったわけです。
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そりゃそうです、昔から人間は死んできたんですから、小さくして子どもを亡くした、まだ子供が小さいのにお母さんが死んでしまった。
お父さんが死んでしまった。最愛の妻が死んでしまった。最愛の夫が亡くなってしまった。そのような歴史というものを人類は
これまでも、もの凄く長く繰り返してきましたし今もこの瞬間も私が話している、瞬間もこの地球上で誰かが死んでいるわけです。
人間は死という事は避けることができない、でもその死についてお釈迦様は何とお答えになったか、実はお釈迦様はその死については
明言していないんです。なぜか、死後の世界は地獄があるのか極楽があるのか、どんな世界なのか、これは私たち死というものを
意識する人間にとっては最大の関心事の一つです。
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でも、誰もそのことを証明することができません。ですから、お釈迦様は死後の世界について議論をすることを避けられました。
それについては明確な答えを示さなかったんです。けども、お釈迦様が死後についてひとつのお釈迦様の考え方を示されている
そういったものが仏典に残っています。それは何か、死後の世界がどういうものであるか分かりません。
けれども、死後どういう世界であるかではなくて生きている時に、その人間が何を想い何を話し、どの様な行いを成したのか
何を想い、何を話し、何を行ったのか、この三つの業、カルマというものが死後付き従う。
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私たちは何も死後持って行く事は出来ませんね。心を持って行く事は出来ない、どんなに大きな家を建てても
その家を持ってあの世には行く事が出来ない。家族も連れて行けない、子どもを連れて行けない、車も高級車を持ってても
高級車に乗って行くわけにもいかない。飛行機も持っていけない、何も!持っていけない。
ただ、その人が生前に成した想い言葉行いのみを付き従えて、あの世に行くんです。それがお釈迦様のおっしゃったこと、
そのような表現をなさっています。
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ですからそれは当然多くの人を苦しめ多くの人を悲しませ、嘘をつき人を欺き生きて来た人間というものは、
地獄にいくか極楽に行くかそれは分かりませんけれども、その人間の死後、その人間につきまとう付き従って
いくものは、その人間がその生前に成したすべての行いである。
それがお釈迦様の残されている答え。ちょと話が戻りますが、先ほどのお地蔵さんの話、なぜ何も罪を犯していない
幼子が小さき子供が亡くなったら極楽ではなく、地獄に行かなければいけないのか、仏教は何という残酷な
教えなのか、何も罪を犯していない子供が地獄に行かなければいけないなんて。
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なんて仏教は非情な教えなんだ、そのようなことをおっしゃる方があります。でもこれに対する答えが、
マキりんさんに私が届けたい処方箋です。
何故、幼くして亡くなった何の罪も犯していない幼子が地獄に行かなければいけないのか、実はこの子供も
たった一つまだ何もしていない幼き子供も、たった一つある罪を犯してあの世に行くんです
その罪とは何か、十月十日(とつきとうか)壮絶な苦しみを味わいながら自分を生んでくれた親を悲しませたという罪を
背負ってあの世に行くんです。マキりんさんには、そしてそのお母さんにもこのお話を伝えて下さい。
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人間が死後、地獄に行くか、極楽に行くか、天国に行くか、まぁいろんな表現がありましょうが
何処に行くかどうかは分かりません、私も分かりません。
自分が死んだことないですから、けれども死後残された者に苦しみがあるとしたら、そして亡くなったものに、もし
肉体はなくなっても念というもの、想いというもの、魂というものがあるのであればその魂が抱えている
苦しみがあります。
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それは何か、苦しいから、あるいは突発的に統合失調症という病気の所為で、弟さんは自分の身を投げた
のかもしれない。魂がふと我に返った時に、あるひとつの罪を犯して死んだことに気づくわけです。
それは何か、病気を患いながらもずっと自分のことを心配してくれた母ちゃんを、ずっぅと自分のことを心配してくれている
姉ちゃんを、家族を苦しませてしまった!
きっと今、弟さんは草葉の陰でもし苦しみを抱えているとしたら、その事実(苦しませてしまったという)
自分をこれ程までに想ってくれていた親を悲しませたという事実、これが弟さんの魂が抱えている
最大の苦しみなんです。
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どうぞマキりんさん、そしてお母さま、そしてご姉弟の残された方々、もし私の話が届くのであれば
是非この事を胸に止めてください。ご遺族の方が出来る最大の処方箋は今の事実を知って供養するという事です。
一生懸命ご供養してください。マキりんの弟さんの入っていらっしゃる仏壇があると思います。
お位牌があると思います。そのお位牌の前に手を合わせながら一生懸命ご供養をなさってください。
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弟の魂が安らかになりますように、そして同時に供養という言葉はともに養うと書きますよね。
漢字で書くと供養というものは一方的なものではないんです。自分が弟さんに向けた弟の魂が少しでも安らかに
なりますようにというその想いを、同時に弟さんも願っている仏壇の前で手を合わせているご遺族の人たちに、
弟さんも今そのメッセージを発している。お姉ちゃんお母さん”苦しませて悪いね”っていう弟さんもメッセージを発している。
お互いが人間であるがゆえの限界というものがあるんです。
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上手く生きようと思ったて、上手く生きられない、賢く生きようと思ったって、賢く生きられない、それが人間なんです。
100点満点取って人生終えて行く人なんてほとんどいないわけです。てっ言うか居ないです。
そういう中でさまざまな葛藤や苦しみというなかで、あるものは自死を選ぶ、自死をするというところまで
至らないけれども、生涯苦しみ続けるいろんな人達が居るわけです。
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でも唯一言える事は、皆がそのみんなが本当は心の平和を願っていた、平穏に生きることを願っていた、
安らかに生きる事を皆が願っていたんですよ。だから私たちに出来ることは何か、それはもう死んでしまった後
ですけれどその魂の平和を願うしかない。でもそれは決して一方的なものではない、弟さんのご仏壇の前で
手を合わせて弟さんの冥福を祈るんであれば、弟さんの死後の魂の安らかさを願うのであれば、残された人たちも
その弟さんの死というものの事実を受け止めて、心穏やかにしていくその供養と共に、生きる者と亡くなった者の魂を
癒していく必要があるんです。
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ずっと前になるんですが、けっこう前になるかもしれませんがFacebookでこんな記事を書きました。
機会があれば私のFacebook大愚元勝と検索して頂くと出てくるその記事も読んで頂ければ良いんですけれども、
その記事の中で私こんなことを書いているんです。それはある7回忌を迎えた家族の法事にいったんですね。
その家に行ったんです。そこの家では7年前にちょうど幼稚園から小学校1年生に上がって2年生になる前かな、
1年生の男の子が亡くなったんですよ。その7回忌の法事があったんです。
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その法事に行ったときに私はもうその家に入った瞬間にその家で何が起きているかということを肌感覚で察知しました。
私、3歳でお経本を持たされて5歳から法事デビューしてますからね。そこの家に行ったら、その家にどんな問題があるかという
ことも言葉を返さなくても分かります。その家ではお母さんが七年たった今も弟の死ということを超えられないでいるのが、その家の最大の
暗闇になっていました。私、ひととおりね儀式としての法事を終えてその後、お茶出していただいて家族のタブーを破ったんです。
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そのお仏壇の横には小学校1年生の子どもの遺品がすべて手付かずで残っていました。何年前になくなった
その息子の部屋はそのままになっている。その子の机もその子の学校の帽子も、その子のランドセルも、ドラえもんとかその他の様々なキャラクターグッズも、
すべてそのままなんです。そのお母さんの顔を見たらわかりました。そのお母さんは精神を病んでいらっしゃるその隣にその子のお姉ちゃんが座っていました。
その子のお姉ちゃんも精神を病んでいます。その隣にそのお父さんがいました。そのお父さん何かにおびえるように暮らしてらっしゃる。
その様子が、私パッと見て、すぐわかったんです。何が起きているかだから私はその家族のタブーを破ったんです。
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それは何かと言ったらこれでもう、7回忌ですねって、マルッと6年経ちましたねって。そろそろこの子の遺品を整理しましょう。それを口にした途端
奥様のまあその子どもの亡くなった子供のお母さんの顔がギョッとしました。なんていう事を言うのっていう顔になりました。そしてその横に居た
お父さんの顔もギョッとしました。家族のタブーに触れないでくれっていう顔をなさいました。その家に起きている問題は何か〇年前に亡くなったその子の死を
家族が越えられないでいるというこれが問題なんです。お姉ちゃんにも影響が出ています。お姉ちゃんはお母さんが弟が亡くなった後もずっと一緒に隣にいるお姉ちゃん
娘のことではなくてお母さんの頭の中は亡くなって既にいない弟のことにあるんです。
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そして隣に居たはずのお姉ちゃんはずっとお母さんの頭の中にはないんです。幼くして子供をなくした親、その苦しみがどれほどのものであるか、それも私も子を持つ親ですから
その気持ちはわかるつもりです。このランドセルは捨てましょう私は言いました。この子が今生きていればこの子はもう今年中学に入ります。
窓の外を見てください。外を歩いてみてください。その方マンションに住んでいらっしゃいますから、そのマンションの中には亡くなった息子さんと同級生の子達が中学に入って
中学の学生服を着て歩いている姿っていうのも見るわけです。
親というのは同級生が育っていく姿を見て、あぁ今頃自分の子供もこうなっているんだろうな、あぁ今頃自分の子供はこうなっているんだろうな、近所の
同じぐらいの自分の息子と同じぐらいの世代の立派に育っている子供達を見れば、そこに嫉妬するわけですよ。なんでうちの子だけっていう思いが
蘇ってくるわけですよ。それが6年続いているだから言ったんです。
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お母さん、この子が今生きていたらもう中学生ですよ。中学生にランドセルはいらない、中学生がドラえもんのキャラクターを持って喜んではいない。
母ちゃんやめてくれよと、俺はもう小学校じゃねえんだ小学生一年生じゃねぇんだ、きっとその子は言うはずだって。
死後の世界があるかどうかわかりません。けれどももし亡くなった子の魂があるとしたらですよ、それはあるかどうかもわかりませんよ。
でももしあるとしたら、もう母ちゃん俺小学生じゃねぇよって多分言うと思います。もう中学ですから少しずつ身の回りのを物を処分していきましょうって。
その上で、今マキりんさんに話した話をしたんです。
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親より先に死んで子どもにとって、何が一番つらいかわかりますかって。死因がどんなであったかそれはもういいと、親より先に死んだ
逆縁であった子にとって、死んだ後も親を悲しませ続けているこれが一番苦しいはずなんです。だからどうかお母さんこの子を死後も苦しませ続けているのは
お母さんでもあるんですよ。辛いでしょうけど苦しいでしょうけど、どうかその事実を知ってください。その話をして私はその法事を終えました。
マキりんさんに伝えたいのはそのこと、弟さんは亡くなる前確かに苦しんだかもしれない。亡くなる前統合失調症の発作で飛び込んだかもしれない。
それはわかりません。けれども確実に言えることは、私たち生きているものが様々な問題に対して思考する考える、この「考え」とか「思う」ということは
その肉体の活動が停止したら終わるんです。
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体の苦しみも終わる、体の痛みも終わる、生き辛さも終わる、私達生きてるものの想像できる。この現実世界で感じる感覚というものは
全てなくなるんです。けどもしそこに何か念が残るとしたらその残る念というものはその苦しみがもし残るとしたらそうでしょう。
死んだ後までも自分だけが苦しみを断って断つために電車に飛び込んで死んででも死んだ後自分を大事に思ってくれる家族を
苦しませ続けているこれはもう死んでからはどうしようもない訳ですよ。
死んでから生まれ変わって生まれなおして、母ちゃんごめんっていう訳にはいかないんです。
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まぁそうは言っても簡単に愛する人が亡くなった苦しみというものは癒えるものではありません。
それも私もよくわかります。ただどうか仏壇の前でたくさん泣いてください。涙枯れるまで泣いてください。
毎日泣いてください。でも同時にね35歳まで35年間苦しみながらも病気を患いながらも〇年という年齢
葛藤しながらも生きたというその弟さんその生き様そのなかには弟の良きところもあったはずです。
弟さんの素晴らしきところもあったはずです。そのことを思い出して弟さんをこれ以上責めることは
やめてあげて欲しいんです。
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弟さんは苦しんでますから、母ちゃん姉ちゃん兄ちゃんを苦しませ続けているということに苦しんでますから。
自死したものが成仏しないなんて言うのは誰が言ったかわかりませんが、私はそうは思わない、但し亡くなった人が成仏する鍵は
残されたものが握っている。この弟さんの大きな死という大きな悲しみ、これをきっかけにマキりんさんの家族が供養する自分たちの魂というものを
弟さんの死をきっかけに、自分の生活を見直し自分の生き方を見直し自分の魂をより豊かな良きものにして行く、その様な覚悟をもって
仏の教えを聞いて、仏壇の前で手を合わせて供養するならば、きっと弟さんはその事に安心して成仏なさると思います。
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そしてきっとね、母ちゃんも姉ちゃんも兄ちゃんも、俺の分まで精一杯生きてくれよ。きっと弟さんはそう言ってらっしゃると思うんです。
そんなことでマキりんさんに出来る事は供養です。共に養う是非一生懸命心を込めてご供養してあげて下さい。↑ PAGE TOP
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