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不条理への怒りや恨みを手放す方法はありますか?
優しい人で連れ子二人の私と再婚して九年、とてもの仲の良い夫婦だったので、
主人が亡くなり四年経ちますが、生きることに無気力で寂しくて、むなしくて、悲しくて苦しくて辛いです。と、言う方からの相談動画です
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【動画】不条理への怒りや恨みを手放す方法はありますか?
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「ここより文字起こしデータ」
【不条理への怒りや恨みを手放す方法はありますか?】 文字起こし制作者 運営者 深井
主人が亡くなり四年経ちますが、生きることに無気力で寂しくて、
むなしくて、悲しくて、苦しくて辛いです。
優しい人で連れ子二人の私と再婚して九年、とてもの仲の良い夫婦だったので、
この不条理への怒りや他人への恨みが酷いです。
子供は家を出て働き、私は不定期なパートで一人暮らし、何もやる気がなく
家事もおろそかになって、廃人のようになって居ます。っていうことですね。
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はいあの本当ですね。まだ怒りや恨みが出てくるということは、
まだまだお悲しみの際中だと思います。あの本当にこの亡きご主人の事を
大切に思っておられたんだろうなと思う訳です。
このね、自分が愛する人が亡くなった後に、自分の中に起きてくる心理
というのが一問一答とかでも、何度もそういう話をしているかもしれませんけれども、
私たちはやはり何かを失った時にですね、大切なものを失ったときに
それに対してやっぱり悲しみが出てくる訳ですよ。
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でもそこにですね、あのなんでこの人死んでしまったのって、神様とか仏様がいるんだっ
たら、この人を生き帰らせてよーって言う、この現実を受け入れられないという状況に対し
て怒りが沸いてきたり、悲しくなったり、と言うことがある訳です。
そこでなんとか神様あの人を生き返らせてくれるんだったら、この人が死なないように住むんだったら
、うちも何でもしますって取引をしたりと、いうことが起きておきますそういうことが
ですね繰り返し繰り返しして行われてくるんですね。
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でまぁ私たちが今現代の人たちが多くの人がですね面倒くさがってしまう法事、実は私は
この法事ということに、こうした自分が亡くした大切な人を亡くしに対しての執着を
それこそを手放していくためのシステムが法事なんですよ。
何度も何度もこの法事をやることによって、この人は死んだんだと言う現実を受け入れる
この死ぬと言うことは悪いことじゃないんですよ。生まれることと同じように死ぬと言う
ことは自然なことです。
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これまでの命の中で死ななかった生き物ってないんですよ。歴史の中ですべての命が
ですよ、ずーっと生きてたら私たちなんて生きる場所ないです。この地球上から。
ものすごい数の命が地球上に蠢いていることになります。私たちは生きてある一定
期間生きて、でも死んで次の時代に命を譲っていかなきゃいけないんですね。自分の
愛する人たちはずっと生きてて欲しい、自分も生きてて欲しいと思ってすべての命が生きていたらどうなります、私たち生きられないんです。
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そう、死ぬということは悪いことじゃないんですね、でも人間にとって極めて自然な死ぬと
いうこと、私たちは誰かにを愛するが故に許さないんです。つまりつまりですよ、自分の
愛する人が死んでそれが認められてないということは、この愛する人の死を許さないということです。
まあ亡くなった後に、その人の魂とか霊があるかないかというかそれに対し
てお坊さんお答えちゃいけないんですよ。
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有るとも無いとも言っちゃいけない、なぜかって自分が死んだことがないからでしょ。
自分が確認したことがないことを議論するというのは時間の無駄なんですね。
お釈迦様はそうおっしゃったわけです。だからお釈迦様はいろんな質問された時に、命
とは死んだらどうなるんですかということを言われた時にですね、何も答えられなかったと
言われます。けれども輪廻という考え方はねインドにはあります。
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この輪廻というものを転生していくというのが仏教の中にも入ってきて、まあそういう
死んだら生まれ変わるとかね、行くとか言われたりはしますけど、でも実は死というのも死ん
だ事がないのでそれに対して私たちははっきりしたことは言えないんですよねで
もですよ仮に想像してみてくださいもし亡くなったご主人の魂というものがあって
ですよ今私たちを見ているとしたら残された人見てるとしたらその人が
ずーっと恨んでる、ずーっと悲しんでいる、こんな辛いことないですよね。
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だって死んでしまったんですけど何ともしようがないじゃないですか、
でもそれを草葉の陰からですよ、ずっと自分の大事な人がずっと自分
が死んだことによって苦しみ続けている、こんな可愛そうなことないんですよ。
だからひとしきり泣いてでもね時間をかけて少しずつ少しずつあーこの人は死んだんだな
死んだとは決して不幸なことじゃないんですよ。一切の苦しみを離れてあの世に行かれたんですから
極めて自然な自然の摂理です。
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エネルギーは不変の不滅の法則とありますね。エネルギーちゅうのは生まれたらそれが
なくなることはないです。違った形になってエネルギーと言うのはずっと循環しているというの
が現代の科学でわかったことです。だから人間の命というのも植物が葉っぱが落ちて
落ちた葉っぱがまたですね、枯れて新しい植物が生えてくるための肥料になって、
そしてまたそれが新しいのになっていくように私の命も枯れたらその
エネルギーというのはきっと何かになってね、あの生まれ変わっていくというか
エネルギーが違った形になってこの地球上を動いているのかもしれません。
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千の風になってという歌がありましたよね、お墓の前でね私を悲しまないでください。
その墓に私はいませんからと、風になっているかも知れませんし、木になっ
ているかも知れません。何になってるかわかんないけれどもあなたを見守って
ます。本当に見守っているかどうかもわかりませんけれども、でもね、そう考えることに
よって私たちは人の死というものを、どこか少しこう受け入れることができるようになったりします。
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是非ご主人の死をずっと悼む、でこれはもう致し方のないことですけれども、
でもどこかでねご主人が死んだということをぜひ許してあげてほしいんですよ。
それはもう当然のことなので死を受け入れてほしいです。
そしていつかその死はあなた自身に訪れることですね。そういつか自分も死んでいくんです。
決してでもそれは悲しいことじゃない。でも大事なことは今まだあなたは生きてるんですよ。
だけれどもこれまで自分は家族というものを大事にするがゆえに、家族にしか人間関係
のエネルギーを注いで来なかったはず、愛情を。だから是非ね仏心会に入られたことを
きっかけにしてですよ。
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自分の家族は大事でも同じように自分の家族以外の人にも少し
ずつ少しずつ慈悲心ものを広げていきましょうよね。
仏教というのは知識ではないんです歴史の勉強ではないんです。今この人生において
私がどう生きるのかというところへ直結してくる教えなんですね。今この自分の人生に
おいて今日から明日から私の人生に変容をもたらしていくそれは仏教なんです。
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社会が世界とか全てに対して見方が変わったし感じ方が変わりましたそのイラっとすることを
いかにその解消するかということを教わります。最終的にやっぱり人間を学びに行ったんだな
あっていう表面的なものではなくて深い所までイメージはすっと入ってきたんですけど、おっしゃること、おっしゃることが
もう、おっしゃっるお取りだなと思って雲が晴れるような感じの気持ちになったりとか感謝しかないですね。
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学びというのはね、いつになってもいつからでも学ぶことができるんです。
まさにこう私たちがどう生きていくのか、仏教学んで自分の人生の質が良くなって
いかなければならない、自分の心が穏やかになっていかなければならない、そうならなければ
どんなにたくさんの教典の文句を覚えたところで仏教を学んだことにはならんのです。
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