グリーフアドバイスは、喪失経験者から大切な方を亡くされた方へのアドバイスサイトです。無料メール相談を行っています。

グリーフアドバイス 日記更新 2023/06/16(金)

今回は希望の言葉を載せました

女性飛行士アメリア・イアハートの言葉
米国のカンザス州出身の女性飛行士で1932年に女性としては初めて、大西洋単独横断飛行を達成したことで広く知られています。その彼女の言葉を紹介します。

「最も難しいのは、行動しようと決断することです。決断してしまえばあとはそれを行うだけ。恐怖は張子の虎です。自分で決断すればどんなこともできる。人生を変え、思い通りにすることができる。そしてその過程こそが、得難い報酬なのです。」

女性飛行士アメリア・イアハートさんの詳細は綺和美(キワビ)さんでご覧下さい。

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グリーフアドバイス 日記更新 2023/05/23(火)

5月15日に7年目の命日を迎えました  

早いもので、逝去してから7年目を迎えました。7年目を迎えるまでに何度、亡き妻への後悔と懺悔の 気持ちを抱いたかは本当に数え切れません。中でも後悔は本当にあの辛い看病の日々の時に、只、看病していた だけの日々を今は後悔しています。今、もし、あの看病の日の最中ならば私はきっと妻のベッドの側に一日だけでも 添い寝してやれば良かったとの気持ちで一杯です。当時、考えもしなかった気持ちです。病床で毎日床に伏していた 妻の気持ちを、本の少しでも癒やしてやる事が出来たのではないかと思われてなりません。只、毎日24時間同じ病室 で看病はしていましたが、もっと彼女の気持ちに添ってやれば良かったとの後悔が残ります。今、何らかの事情で私と 同じような看病をされている方がいらしゃれば、ぜひ一度で良いので添い寝してあげれば本当に喜ばれるのではないかと 思います。

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グリーフアドバイス 日記更新 2023/04/30(日)

4カ月振りに更新しました  

昨日ヤフーの記事で、高齢になってからの喪失体験のデータを取り扱っている記事を見ました。 高齢者65歳以上の方が喪失体験した場合の、その後の生き方についての記事です。その記事によると 65歳以上での別れの場合、男性の場合は妻の喪失からの余命が5年縮まり、夫が喪失の場合、妻の 余命が5年延びるとありました。あまりにも男女の差が明らかであるのには驚きましたが、この理由は 男性は老後、妻に頼り切りているとの指摘がりました。頷ける理由だと納得しましたが、あまりにも男性の 情けなさにがっかりしました。私の場合は妻が亡くなってからの生活に関しては、特に不便さは感じはしませんが 喪失と言う心の空虚感は払拭はできません。今、現在妻が逝去してから5年は経過しています。再婚はしていますが 余命に関しては妻の逝去により、短命になるとは思ってはいません。先妻が逝去しても、その分、残りの人生を しっかりと生きて行かなければとの思いで毎日生きております。それが、せめても生前にお世話になった亡き妻への 御礼ではないかと信じて生きております。再婚するしないは別の話だと思います。ただ、生ある限り生き切るのが先妻への供養 ではないかと、こころから信じております。

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グリーフアドバイス 日記更新2022/12/12  2022/12/12 (月)

何年、経過すれば癒やされるのか?2022/12/12

今日は、グリーアドバイスに寄せられた喪失体験者の方からのご相談をまとめると、毎回の相談で感じる事なんですが、 本当に何年経過すれば、喪失の辛い経験から立ち直る事ができるのかと考えされられます。運営者の私自身も6年を経過しましたが、 まだ、時折フラッシュバックは起こります。そのような経験から立ち直りなんて本当に有るのかと、思ってしまいます。前にも書きましたが、 やはり立ち直りよりも適応する事が大切なのでは無いかと思います。本当に日にち薬が必要なんだと心から思う様になりました。 どうしても、喪失による喪失感と言うものは本当に人を孤独に追いやるものだと、ひしひしと感じさせられます。特に私の様に夫婦二人や 親と二人暮らしなどの、二人での生活をされていた方は痛切にそれを感じられております。若い方でもそうなんですから、特に高齢になってからの 二人暮らしからの喪失になると、本当に辛くて孤独感に襲われた様な生活に追い込まれます。 この孤独感を追い払う方法はどうすればいいのでしょうか。

最近、私が学んだのは天国に逝去した愛する人を、身近に感じる事の出来る環境に自分を置くと言う事です。このグリーアドバイスで取り上げた このページをご覧下さい。亡くなった人があなたへコンタクトしてきているサインこのページにあるように 亡くなった人を身近に感じる事が出来れば、少しは孤独感は癒やされるのではないかと?そんな簡単な問題じゃないと!お叱りを受けるかも 知れませんが、私自身もそうであるように、孤独で、孤独で、仕方無い時は何でもいい、ほんの少しでもいい、自分が愛した人を感じたいと思って いるのではありませんか?私は以前愛する人が愛用していたグッズを1点だけ置いてありますが、そのグッズに本の少し愛する人の匂いを感じます。 その匂いから愛する人を偲ぶことで天国からのコンタクトを感じました。亡くなった人は二度と目の前には現れる事はありません。でも、心は自分の自由に操られる筈です。自分に出来る何かをするしか有りません。私も辛さに耐えて頑張って生きています。頑張って生きる理由は、何度もこのサイトでも言って いますが、天国の愛する人を悲しませたくないの一言に尽きます。天国を信じる信じないは自由ですが、私は存在すると信じています。そしてその気持ちを大切生き切る事は良い事だと信じています。どうぞ、あなたも精一杯生きて下さい。天国の愛する人の為に、、。

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病気の進行に気が付いてやれなかったのは仕方の無い事だったのか?2022/10/26

妻は食道がんでしたが、私は妻自信が症状の異変に気付くまで、一度も妻の状態に気付く事はありませんでした。そして気付いた時はステージ4なんて、本当に気付いてあげる事ができないのは、仕方の無い事だったのかと今でもそう思います。
普段から健康維持にはかなり気を使っていました。サプリメントを服用したり、食事については野菜を肉や魚よりも多く摂取するなどの 対策をしていましたが、結果的には何の意味もありませんでした。
そうなるとこれは遺伝なのかとも考えたりもします。妻の身内にはガンで亡くなった 身内の人がいたのでそうなのかもと。でも、やはり気付いてやれなかったのは本当に辛い事で、いまでもこころの傷として残っています。 簡単に気が付くものではないのでしょうか?ガンと言う病気は。

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入院中最後まで思い切り食べさせてあげれば良かった!

最近、よく入院中の出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡ります。それは入院初期は病院食で良かったのですが、最期が近づくにつれて 病院食では満足せずに、色々食べたいと本人から欲求が出ました。主治医に確認すると本人の好きなものを食べさせてあげて下さいとの返事でした。
入院した病院はホスピスも兼ねた病院だったので、私も泊まり込みで寝泊りしていましたので、病院の近くの商店街やスーパーで本人の要求するがままに買っていました。そしてアルコールも要求しましたが、さすがにアルコールはNGでした。それでノンアルコールビールで我慢して貰いましたが、食道がんの為に呑んでは吐き、呑んでは吐きの繰り返しが続きました。それでも本人がもう要らないと言うまで呑ませてあげれば良かったのでが、余りの呑み吐きの繰り返しに私もとうとう「もう、いくら呑んでも一緒やろ」って言ってしまいました。それだけが、本当に後悔の一言です。今、思い出しても亡き妻に本当に済まない気持ちで一杯になります。この世の最後の飲食くらい好きにやらせて上げればよかったのに、どうして途中でさえぎってしまったのか?本当にすまないと思います。今看病されている方、私の様な状況に有られる方はどうぞ、本人の要望を叶えて上げて下さいと、節にお願いします。二度と自分の思いの様に出来ない入院されている本人の為に、思い切り納得の行くまで好きにさせて上げて下さい。

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5カ月間病院に泊まり込んで看病しました!

前回は添い寝を皆様にお薦めしましたが、私の場合は出来なかったのですが、ひとつだけ妻の入院している病院に5カ月間 泊まり込みで逝去するまで、一緒に居てやれた事だけが私の唯一のこころの救いとなりました。
私は風呂も食事も入院中の 病院の近くで済ませ、夜は妻が眠りにつくまで看病してやることが出来たのが本当に良かったと思っています。 できる事があるのなら精一杯して上げる事を、どうぞ、して上げて下さいとこころからお薦めします。後になってはどんなに自分に出来る事をしたとしても 後悔はするものです。だから自分で自分を「よく看病したよなって」思えるほどにしても、しすぎる事はないと断言できますよ。逝去から 6年を経過しても切実にそう思います。今看病されている方の少しでも励みになればと思い書かせて頂きました。

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今、伴侶の方を看病しておられる方へ

私は今月70歳の定年になります。そして在職中の妻の存在がするどく蘇ってきます。
中途採用で現在の会社に就職してから25年が経過しまいた。過去の思い出を辿ると、鋭く妻の思いでが 蘇ってきます。辛いです。あんなこと、こんなこと、数限りなく思い出します。だから何年経過しても辛い思い出は消えないと言う事でしょうか?
今、伴侶の方を看病されておられる方のお気持ちを考えると本当に辛くなります。運営者の私も妻と二人で子供の居ない夫婦だったので、一層つらい思い出です。
私は看病中に唯一妻にしてやれなかった事がひとつあります。それは”妻に傍に添い寝してやれば良かった”と、言う事です。当の本人が一番辛い状態の時にどうして亡くなるまでの期間の間の一日位、添い寝してやる考えも持たなかったのか、多分、病院に言えばさせてくれたと思います。
もし、今過去に戻れるならば一日妻の横に添い寝してやりたいと本当に後悔しています。

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2022年10月18日(火) 罪悪感を感じたら?

2022年10月18日(火) サイト運営者の深井です
今日は何故か昔の生活が非常に懐かしく思い出しています。
こんな日が突如現れるんですね、死別経験者は。私だけでしょうか?もう6年も前の生活をしかもリアルに眼に浮かぶんですね。 と、同時に当時の暮らしの中で妻にしてやれなかった事が走馬灯の様に表れては消え、表れては消えの繰り返しで出現します。
そして、悔やんでも仕方の無い罪悪感が心の全てを占拠してしまいます。こうなるともうたまりません、精神が不安定になり止めていた アルコールが頭をよぎります。しかし今回は呑んでは居ません。この時にアルコールで一時的に忘れても何の解決に成らない事が 解っているからです。
私は、こんな時には自分の潜在意識を意識するんです。どう言う事かと言うと、今、自分は罪悪感を感じて いますが、これは潜在意識の成せる技であり自分が願っている気持ちではない。潜在意識は過去を覚えているから自然に出てきただけで この辛い気持ちを乗り越えて、アルコールにも手を出さなければ、新しい自分に生まれ変われるチャンスが訪れているのだと。
潜在意識の言いなりになっていたら絶えず罪悪感に苛まれる事になるから絶対に潜在意識に従ってはならないと自分に言い聞かせます。

いきなり潜在意識って言われても解らないと思います。今日の回復日記が今いち解りにくいと思われる方は私の姉妹サイト

前向き情報ドットコム 潜在意識のトリセツをご覧下さい

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2022年10月17日(月) サイト運営者の深井です
今日は私の現在の喪失に対する自分の気持ちを述べて見たいと思います。
現在、6年目を迎えています。それでも喪失の重さをひしひしと感じますし、何年経てば本当に喪失と言った事実を 忘れる事ができるのかと考えています。
勿論私の言う所の忘れるとは全てが記憶から消え去ると言うとこではありません。 常に思い出さなくなると言った状態を言っています。つまり喪失が日常生活に影響を及ぼさない状態を指しています。
あなたは如何ですか?常に365日意識している状態ですか?言いなれた言葉ですが、日にち薬ってありますよね。 これも事実だと思いますが、この日にち薬ってどの程度効くのでしょうか?勿論個人差は当然ですが、私の場合は今現在でも 日にち薬が効いたって自覚はありません。何故かと言うと本当に全く意識しない日ってありませんよ、程度の差こそあれどうしても 心の奥底に意識があるのを自覚するからです。
只、その意識した時の自分の状態はかなり変化してきていますが。 この変化が薬の効果なんでしょうか?私の場合は意識した状態の時になる心境は次の様になります。 意識が発生➡すごく辛い気持ち➡飲酒欲求➡酩酊の気分から➡自殺願望 と、まあ当初はこんな感じでした。 現在は、意識発生➡辛い気持ち(すごくが取れている)➡飲酒欲求が出ても呑めばもっと辛くなるからやめよう➡お酒に変わるものを求める ➡自殺なんてすれば亡くなった妻を悲しますだけだ と、このように変化しています。これも日に薬の効果なんでしょうか?

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2022年10月14日(金) 当サイトの無料相談の悲喜こもごも
当サイトを初めてから以来、多くの方からご相談を頂きました。相談者の男女比で言えば圧倒的に 女性の方からの相談が圧倒的に多く約、7割を占めています。やはり男性の方の寿命が短いのだとしみじみ感じました。
私の場合は妻が先に他界しましたが、年齢差が一回り近くあった精かもしれませんが先に妻が旅立ちました。 そして相談内容の特徴と言いますか、特に男性の方からのご相談は本当に喪失の辛さから脱出できそうに無いっといった気持ちが 如実に顔に出てきます。やはり男性は哀れだなぁと感じました。

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2022年10月12日(水) 死別者同士の再婚について
正直に言います、再婚者同士の再婚がこんなにも生活が難しいとは 本当に想像できませんでした。結論から言えばやはり双方における過去の配偶者の思い出が、新しい生活に かなり影響すると言うことです。やはり死別者同士となれば過去の良い思い出が思いでの大半を占めるようです。
そこに落とし穴があります。現在の相手の良い面を見れば良いのですが、互いに相手の悪い面を見てしまうと どうしても生活がギクシャクしてしまいます。過去は過去と中々割り切れないのが人間の性と言うのでしょうか? 現在はかなりお互いに理解し合えるようになりましたが、過去においては何度ギクシャクして夫婦間の問題に発展して しまったことか。高齢になってからの再婚故に残り少ない人生を本当に無駄にしてしまった感も残ります。 これから再婚をお考えの方は、くれぐれもよく検討される事をお薦めします。

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2022年10月05日(水) 本日より回復日記を再開します。と、言っても週に一回のページ更新です。 私は、今月10月を持ちまして古希の大台に成ります。自分でも70歳を迎える事が信じられません。 本当に大台だなぁと思います。
死別から早5年を経て今は、当時の辛い思いも少しは減少したかなって思いで生きています。 私は現在再婚していますが、このサイトをご覧の方で喪失後に再婚された方は少数派ではないかと思います。 縁あって再婚しましたが、現在に至るまで二人の過去が、度々二人の生活を不安定な生活にしていました。 今はやっとお互いの過去や性格を理解しあえる状態になりましたが、死別同士の再婚がこれほどまでに大変な ものであるとは想像できませんでした。しかし、理解し合えた今は穏やかな生活に戻れましたから今は幸せを 感じております。これから再婚をお考えの方に少しでも参考にと私の再婚生活の報告を掲載いたしました。

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2020年3月20日(金)
コロナウイルス
2018年4月から約1年と11カ月が過ぎました。突然の回復日記の再開です。 季節は巡り巡って春の一歩手前まで来ています。世界ではコロナウイルスで騒然としています。 しかし、年月を重ね年老いてきた自分には世間の騒ぎよりもこれからの老後の事で頭は一杯です。 若い頃には考えもしなかった自分の老後不安、本当に残り少ない自分の人生、それらの現実が 自分の前に立ちはだかっている事を受け入れたくない自分がいます。 誰にでも平等にある時間だったのになぜか自分だけに少なく感じてしまう「時間」。 遺された者には本当に辛い老いると言う現実。 あなたはどう「受け入れますか?」

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2019年9月23日(月)
月日の経つのは
早いものです
この日記の更新も一年以上の歳月が流れました。早いものです。死別から2年と4ヶ月が過ぎようとしています。
現在、当時の死別した時に置かれた状況とは全く違う状況にあります。 再婚しました。この日記を久しぶりに読まれた方は、恐らく驚かれている事でしょう。お互いに死別経験者同士の再婚です。再婚に至った経緯は、私自身の旅立った者への考え方の変化にあります。
私は、作家のひろさちやさんの本から多くの事を学びました。その一つに先立った者への思いの悟りにあると言えます。この世からあの世へ旅立った者は、阿弥陀様の元で幸せな暮らしを全うしている。 そう、教えられた事にあります。信じる信じないは人、それぞれです。この世(娑婆)の世界で先立った者への執着を持ち続けて悲観にくれた生活をすると、あの世で仏が(あなたはそれ程に残した者を 悲しませていると罰せられると)教えられた事です。私はそれを素直に信じています。
これからまた、定期的に日記を更新していくつもりです。今回はここまでにさせて頂きます。

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2018年4月2日(月)
春を迎えて
初めての春を迎えます。桜も満開で、どこもかしこも春の陽気で溢れかえっています。でも、皆さんも同じ心境かと思いますが、私のこころも春の陽気とはいきません。伴侶に先立たれて最も辛い気持ちになるのは、やはり季節の変わり目です。 特に春は格別です。周囲を見渡せば春の陽気で、にぎやかに、そして明るさで満ち溢れていますが、私達のこころの中とは裏腹な雰囲気にとても憂鬱な気分になります。
思い出せば去年の今頃は病院に泊り込みで一番辛い時期だったと思います。様々な思い出が脳裏をかすめます!やはり思い出したくない事の方が多いのです。そして来月で一周忌を迎えます。春を春らしく迎える事の出来る日が本当に来るの かなと考えてしまいます。

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2018年2月15日(木)
変えれるものとは?
二ヶ月以上更新が途絶えていました。理由は日々の暮らしの中で辛い日々が減少したからです。毎日が充実とまでは行きませんが、落ち込む事も少なく穏やかに過ごせていたからだと思います。
でも、やはりいつまでも続かない ものです。突然悲しみがぶり返してきました。原因はお酒です。あれ程恐れていたお酒をまた、飲み始めたからです。他界した妻との約束をやぶり飲んでしまいました。こころに隙ができたからです。
日々の暮らしにも幾らかの自信が生まれ その自信がお酒にまで及び、もう飲んでも大丈夫との驕りが生まれ飲んでしまいました。
お酒の酔いは過去をあぶり出し、様々な出来事を思い出させてくれます。特に辛い思い出をこれでもかとばかりに吐き出しました。そうなるともう止まりません。 涙が溢れ妻を不憫に思い昔の辛い状態に逆戻りです。自業自得です。
私の持論である故人を忘れる事が供養になるが実践されずに、酒の酔いにより忘れるどころか過去のあらゆる出来事を思い出してしまいました。やはり喪失感に酒 は絶対に駄目です。辛いだけです。
酔いが覚め、我に返りました。なぜあれ程喪失感を忘れ穏やかに過ごせていたのに、お酒を飲むと元に戻ってしまうのか?やはり妻が亡くなった事実をまだ受け入れていないのだと悟りました。ここで振り出しに 戻ります。もう一度最初からやり直しです。妻が亡くなったと言う変えられない事実を受け入れ、変えれる自分のこころを変える。それしか喪失感の中で生きて行く事はできないと思いました。また、戦いが始まります。

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2017年12月9日(土)
生きていく勇気
やっと半年が過ぎて7ヶ月目に入りました。まだまだ号泣スコールは突然やってきます。しかし、最近は以前に無かった感覚があります。以前号泣スコールが襲った場合には、兎に角泣いて、泣いて、かなり長時間号泣していました。 ところが最近は、号泣スコールがやってくると同時にこの号泣が終われば気持ちが楽に慣れると考えている自分がいる事に気が付きました。悲しみに暮れながらも、この悲しみに対して少しではありますが、何がしか心の余裕のようなものが 出てきたと感じています。7ヶ月目で悲しみが薄れて来た事に対してどう感じられるか解りませんが、僕は故人を偲び悲しみに暮れている事だけが、故人の供養になるとは考えていません。
遺された者が幸せに生きてゆく事が最大の 供養であると信じて、自分の幸せを考える事にしました。多分、故人に代わり自分が先立った時の事を考え、遺された者を思った時このように考えるのではないでしょうか?悲しみより幸せを選択して生きていく事が遺された者の使命では ないかと思います。

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2017年11月25日(土)
残りの人生
残りの人生を考えた時、私に残された人生は今まで生きてきた人生の三分の一残されているかどうか?あと長くても20年、短ければ10年かもしれない。妻を失い悲しみに暮れているだけの時間を過ごす事は、短い残された時間を更に 短くするのであります。遺された者は故人を思うが故に自分の幸せはあまり考える事はありません。故人を思う気持ちが強ければ強いほど、遺された自分が幸せになる事には躊躇しがちですが、遺された者が幸せにならないと本当の意味で故人は 成仏しないのではないかと思います。それ故に残された者が悲しみにくれているだけではいけない、やはり自分が幸せにならないといけないと考えを変えないといけないのではないかと思います。残された人生がどうなるかは解りませんが、もう一度自分の 幸せに向かって生きていこうと考えています。

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2017年11月18日(土)
妻の死に意味を見出す
今月の15日で妻が逝去してから半年が経過しました。
逝去から辛い日々を過ごしてきました。これほど涙とは溢れ出るものかと思う日もあり、全くの無感覚の日もありました。そうした日々の中で妻の逝去は私に対して何か意味が あるのかと、考えるようになりました。
一人身になって、これ程人生や死を真摯に考えた事はなかったと気が付きました。もし妻の逝去と言う運命に遭遇しなければ、それが一番私には良い事には違いありませんでしたが、しかしこの運命に 遭遇する事により本当に底知れぬ寂しさや恐怖を味わった結果、人生を、そして死を(特に自分自身の死を)深く、深く考える事になったのです。
私にとって妻の逝去の意味は、残された自分の人生をみつめ、人生を諦めないで、真摯 に生きて行く事に意味があり、それが本当の意味で妻の供養になると理解しました。
これから自分も老いていきます。この先、永遠に一人身が続くのかと考えると不安や寂しさは払拭できまえんが、それでも妻の元へ急いで行く様な事は 考えず、故人が生きたくても生きれなかったこれからの残りの人生を、故人に代わって生きていくんだと考える、それが本当に故人の供養になると信じています。
自分自身が幸福に至る事も故人の供養になると考えています。人生を諦めない生き方 とは、どのような人生を指すのでしょうか、、、?それはやはり日々の生活が明るく不安のない穏やかな人生を指すのだと思います。
人生を諦めなければ何時かその日がやってくると希望を持って生きていかなければならないと思っています。

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2017年11月11日(土)
回復はいつに
今月の15日で妻が逝去してから半年になります。今の心境として心の回復はいつ訪れるのかなと言う気持ちです。やはり悲しみは突然襲ってきます。仕事の帰り際などに、時々寂しく空虚な感覚が襲ってきます。家に帰り落ち着いた瞬間に 突然涙が流れます。特にあれこれ考えている訳でもありませんが、突然涙が出てくるのです。
時の流れに身を任せて生活しないで、何かと気持ちを外へ向けて自発的に行動しているのですが、なかなか日にち薬とはいかないのが現実です。 心の奥深くに潜在する過去に対する自責や後悔の念は時と場所を選ばす突然噴出してくるものだと心して置かないといけないものであると実感しました。

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2017年11月04日(土)
自助グループに
参加しました
自助グループの会に参加してきました。不思議とグループで皆とワイワイとディスカッションしたあとは、なぜか寂しくなります。やはり多勢の時は寂しさがまぎれているのでしょうね。一人家に帰ると孤独感が募ります。でも昔程は沈みませんが、寂しさ には違いありません。この寂しさの根本は何なのかと、いつも考えます。多分分かち合えない相手が居ないの一言に尽きます。人間も動物なのだと思います。群れで生きる習性があるのでしょうか?最近、寂しさの原因は自分の記憶、即ち思い出に あるのだと思うようになりました。今、自分の心の中には妻との思い出が満タンになっています。だから新しい思い出の入り込む余地が無い、言い換えればハードディスクが満杯の状態です。容量の多いディスクに買い換えるか、今入っているデータを 削除して新しい思い出の入るスペースを確保するしか方法はありません。心を買い換えるなんて無理な相談です。
では、古いデータを削除するしか方法はありません。これから生きていく為に必要な新しいデータを入れるスペースを確保する必要が あるのです。前向きに生きる為の新しい思い出、即ち新しいデータを入れて生きていかねばなりません。これから少しずつですが、古いデータを削除して行こうと決心しました。前を向いて歩いて行く為に。

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2017年11月03日(金)
今月で半年
妻が亡くなり今月で半年目を迎える。亡くなってからは半年ですが、入院していた時からは、はや一年が過ぎています。11月は妻が最悪の病院に入院していた時期である事を思い出し、その時の辛さがぶり返して仕事中に思わず涙が 出そうになりました。やはり辛い時の思い出は時を越えて襲ってくるものだと怖くなりました。どうにか涙を堪えて仕事をこなしましたが、本当に辛い思いをしました。いい思い出だけを心に残しておかないと何時までも辛い思いが襲ってくるように思います。

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2017年10月30日(月)
枯れない涙
なかなか涙は枯れてくれない。こんなにも溢れるものなのだと思い知らされました。最近、特に悲しみを意識するようになってきたようだ。やはり妻の居なくなった日々を続けていると、どうしても一緒の時と無意識に比較しているのかも知れない。 そこに、存在しない事は解りきっているのですが、それがとても悲しい。こんな生活に慣れるのだろうかと考えてしまう。慣れるしかないのだけれども。伴侶の存在感を思い知らされ、一人身の孤独を否応なしに味わっています。

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2017年10月21日(土)
一人ぼっちの誕生日
今日65歳の誕生日を迎えました。一人ぼっちの誕生日は初めての経験です。自助グループへは本日参加してきましたが、誕生日は自宅で一人で(正確には家内の遺影と二人ですが)過ごすことになりました。切なく寂しい気持ちです。 毎年小さなショートケーキで祝っていましたが、今回は祝う気持ちにはなれなくて、コーヒーだけで済ませました。目出度くも無く、何も感じられない誕生日でした。

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2017年10月18日(水)
日にち薬は効かない
日にち薬は効かないような気がする。今日で5ヶ月と3日経過した。喪失当初より現在の方が落ち込みが激しく感じる。まだまだ涙も尽きない。只日にちが過ぎるだけでは駄目なのだと思う、何か行動を起こして生活に変化をもたらす事が 必要だと実感した。毎日ボーとしているだけでは何の薬にもならない。ただ、侘しさが募るだけだ!妻の写真を見ては涙ぐみ、自責の念にかられ、本当に辛い毎日が過ぎて行くだけだ。何か行動しないと。

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2017年10月13日(金)
やはり寂しい
やはり休日は家に一人いると寂しい。買い物以外は外に出ないので誰とも会話がない。兄嫁と電話で話しただけ、なかなか一人暮らしには慣れない。32年間二人で生活してきたのだから当たり前と言えば当たり前の事だよね。この寂しさを 皆はどのように耐えているのかな?やはり我慢するしかないのかな。酒でも飲めばいいのかも知れないが、飲めが逆に寂しさが募るのが解っているので酒には手がだせない。本当に辛い!

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2017年10月07日(土)
孤独感が募る
最近、ますます孤独感が募る。日が経つにつれてますます孤独を感じるようになってきた。辛い、寂しい、そんな気持ちが払拭できない日々です。昔のような気持ちには戻れないのは理解していても、最近の感情、気持ちは本当に辛い。 昔の穏やかな日々が本当に嘘のような、そんな辛い日々を過ごしている。いくら考え方を変えても、やはり一人の寂しさは取り除けない。人は、過去、現在、未来の順で考えるらしい。
辛い過去があるから現在の辛さがある以上、未来を明るく 考える事は難しいとの事。本当にそう思う。今、頭に浮かぶのは未来の寂しい自分の姿だけだ。なかなか明るく前向きにはなり難い。

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2017年10月03日(火)
妻の魂は今何処に
自分の考え方を変える以外に、安らぎを得る方法は無いという結論を出した。そして今、考えているのは妻の魂の居場所である。私は特定の宗教を持たない。しかし、様々な書籍から得られた考えから肉体を離れた魂はやはりこの壮大な 地球を含めた宇宙空間の何処かに存在しているような気がする。天国とも浄土とも異なった居場所があるような気がしてならない。ただ、この娑婆の生活とは比較対象にならない程のやすらぎの空間であると言われている。そんなところに居るの だから、われわれ生きている人間は安心して日々を精一杯生きて行かなければならないと考えることにしました。

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2017年10月01日(日)
自分の考えを変えるだけ
今日は、今現状の辛い状態はなぜ続くのかと哲学的に考えている。妻が逝去したのは事実、変えれない事実。だからこの悲しみがある。だからこの悲しみは無くならない。悲しみが存在する以上、この辛さは続く。ならばどうすれば今の この辛い状況から脱出できるのか?それは自分の考えを変えるしか方法は無い。それが僕の結論だ。妻の逝去の事実は変えれない。ならば変えれるのは自分の考え方だけだ。それに気づいた。では自分の考えをどう変えるかだ!

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2017年9月30日(土)
供養とは、忘れないこと
今日は、音楽を聴いていたら急に号泣スコールが来ました。何かにつけて思い出しては涙します。仏教では、供養とは忘れないことと言われますが、本当に忘れることなんて出来ません。だから、この号泣スコールも亡き妻の供養になって いるんだと考えています。来月は私の誕生月です。65歳でシングルになるなんて思ってもいなかったから本当にこれから先、どんな人生になるのやら。

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2017年9月28日(木)
まだまだ涙が尽きません
今日は朝からセンチな気分です。なかなか涙は尽きません。ネットで様々な喪失体験を拝見して、本当に沢山の方が伴侶に先立たれ悲しみに暮れているのがよく解りました。しかし、なかなか自分の身に生じた喪失は癒えません。 何年も掛かるのだろうと思います。こころが癒えるまで長生きできるかどうかも解りません。でも、こんな悲しみを妻にさせる事が無く、自分で良かったとしみじみ思います。だから妻は逝去したが、僕がこの悲しみから妻を救ったんだと考えることに します。そう考えると少しはこころが軽くなるような気がします。そうだ、僕は妻をこの悲しみから救ったんだ、、、。

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2017年9月24日(日)
寂しさと希望が交差します
今は、寂しさと希望が交差します。日曜日一人で家にいると寂しさが募ります。時間を持て余している自分がいます。パソコンをしていても静か過ぎて一人を感じます。時折これではいけないと思い希望を持って何かをしかけるのですが やはり、寂しさの力が強すぎて元の木阿弥に戻ります。お昼からは外に出ようと考えています。家に閉じこもりは絶対に精神的に良くないのは解っています。外気に触れるだけでも違います。これから何年このような憂鬱な日々が続くのかと考える ると、より一層辛さが増します。

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2017年9月22日(金)
最近、悲しみが募ります
今日で、4ヶ月と1週間経ちました。しかし、より悲しみが募るようになってきました。今よりもっと辛い時があったはずですが、今の方が一層悲しみが募ります。
やはり供養の段階を一通り終えて何もする事が無い状態がいけないの かも知れない。何かする事がある状態が精神的には良いのかも知れません。休日などは一日家で、ボーっとしているだけでは駄目なんですね。まあ、まだ一周忌も終えていないので当然だと考える事にして耐えていきます。

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2017年9月16日(土)
思いっきり号泣です!
不思議です、ここ二三日まったく泣いていないのに今日急に号泣スコールです。独りの寂しさが急に襲ってきました。妻の写真を見て号泣しました。妻の写真に向かって、どうして一人で逝ったの?僕もそちらに行きたい!と、叫んでいました。 本当にこころが安らぐ感覚が無くなってしまったようです。いつも何がしか緊張している自分がいます。まだ、4ヶ月だから当然と言えば当然ですよね。日が経つにつれてこんなに辛くなるなんて想像していませんでした。
昨日15日は妻の 月命日でしたので、一心寺へお参りに行ってきました。その時も泣かなかったのに、どうして今日はこんなに辛いのか分からない。回復日記のつもりで書き始めましたが、回復なんていつの日やら?

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2017年9月12日(火)
やはり、駄目です!
何を悲しんでいるのかと、数日前に悟ったように言いましたが駄目です、突然今日も特に意識の無い中なのに急に号泣スコールです。
どうしてだろう、供養も終わり、する事が無くなり気が抜けて悲しみが突然くるのかも知れない。 その時は本当に妻の元に行きたいと願って泣いています。そして、亡き妻に早く帰って来てと哀願しています。弱いものですね、ここ二三日泣かなかったので安心していたらこの有様です。でもこれで正常なんだと自分に言い聞かせています。

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2017年9月8日(金)
何を悲しんでいるのか
今日は、仕事中に少しセンチになった。そこで、ふと考えた。自分は何を悲しんでいるのか、逝去した妻の事を思い悲しんでいるのか?それとも独り遺された、哀れな自分を悲しんでいるのか?そうだ、自分を哀れんで悲しいのだ! そうに違いないと確信した。
自分を哀れんでも亡き妻は帰ってこない。ならば自分を哀れむのはやめようという気持ちになった。そして、気持ちの切り替えをしたら急にこころが軽くなった。今日はまだ、一度も泣いていない。

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2017年9月6日(水)
自分自身の再生について
昨日は遺族自助グループでの自分自身の再生についての不服を述べましたが、自分自身の再生は自分が行うのであって、他者からの働きかけを期待しては再生はおぼつかないのだと悟りました。遺族自助グループの働きは、孤独の 解消に尽きるのではないかと思います。同じ辛さを共有することで、孤独を排除する。そこから自分自身の立ち直りは自ずから考えて行動する他に道はないと感じました。
自助グループとしては、他者への思想や行動を強要することはタブーで あることから一切そのようなことはない。

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2017年9月5日(火)
遺族自助グループへ行く
関西には、色々な遺族自助グループの会があります。私も2ヶ所の会に出席しています。一ヶ所では、月に一度の会合なので、まだ一周忌もたっていない遺族にとっては毎日をもて遊びます。
そこで2ヶ所ほど通うと月に2回は、同じ境遇の方と心の触れ合いが できるので、私はそうしています。でも最近は少し遺族会にも疑問を持つようになりました。
お互いにつらい話を共有できるのは、良いことだと思いますが、ただ、そこから自分自身の再生に向けての取り組みが感じられない。辛い思いをしている のは自分一人でないと認識するのは非常に価値あることだけれども、では、そこからどうしたら立ち直れるのかといった取り組みがほしい。そんな気持ちが最近ふつふつと湧いてきます。

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2017年9月2日(土)
今日は穏やかです
今日は休日で、ボケーっと過ごしています。穏やかな日です、号泣スコールも大丈夫ってところです。少し考え方を変えました。自責と後悔で生きることより、故人に対して感謝の気持ちで生きることにしました。まだまだ、号泣スコールは 回避することはできませんが、少なくすることは出来そうです。初盆のお返しも終わり、後は一周忌の法要まで何もすることはありません。
退屈な状況に身を置く事は非常にメンタル的には危険なのですが、故人に感謝で、乗り切れそうです。

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2017年9月1日(金)
昨年の入院から
丁度一年経ちました
今日で、昨年9月1日に大阪市立大学付属病院へ入院して一年目になります。昨年を思い出すと辛いので思い出さずに置きます。今日は仕事が休みなので過去は考えないのが一番の号泣スコール防止策です。私と同じ境遇の 方は、どう過ごされていますか?まだ、半年にも満たない状況なら時々の号泣も当たり前でしょうね。日にち薬と言いますが、あと何年経過すれば普通に暮らせるのか?今日は初盆のお返しを百貨店に買いに行きます。まだ、号泣はきていませ んが、どうかな?

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2017年8月31日(木)
仕事でしたが駄目でした
今日は仕事を終えて自宅に帰ると、無性に家内の入院時の顔が思い出され号泣スコールが降りました。初盆も終わり、ほとんど供養においてすることがなくなると、やはり考える暇が出来てつい妻の生前の事ばかりを考えています。
仏壇に夕食を供えていると急にセンチになります。外食すればいいのですが、やはり自分だけ美味しいものを食べる事に抵抗があり、なかなか外食する気になりません。家で作る方が美味しくて経済的ということもあり、つい自炊してしまいます。 一人で食べていると無性に寂しさが募るのですが。

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2017年8月30日(水)
今日は休みです
今日はシフトで休みの日です。朝、起きてからボーッとしています。やはり朝食を食べないと少しセンチになってきそうです。すぐに朝食とセントジョーンズワート(安定剤のサプリ版)を服用、すると落ち着きを取り戻します。やはり空腹は 精神衛生上良くないのを実感します。とにかく朝起きたらすぐに朝食、これが私にはベストな精神安定方だと思います。

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2017年8月29日(火)
やはり仕事です
28日、29日仕事です。やはり仕事が一番です、喪失感からの回復には、やはり何事も忘れて仕事に携わるのが一番です。泣いてる暇なんかありません。
ただ、仕事が終わった時に、一抹の寂しさを感じますが、体も疲れて いてるので、早く自宅に帰りたい気持ちがあり、センチになるのは一瞬です。自宅に戻り、食事して、風呂に入ると睡魔が襲ってくるので、すぐに眠むれそうです。

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2017年8月27日(日)
今日は朝から
号泣です
今日は朝から号泣スコールが降りました。日曜の朝、特に何もすることがない朝、つい考えるのは亡き妻のこと。そんな時に妻の写真を眺めていると、思い出すのは過去のことばかり。そうなるともう駄目ですね!
だから仕事に出かけている 時が一番安全です。会社で泣くことは出来ません。お給料もらっている以上仕事に邁進しないといけないので、泣く暇なんかありません。でも、自宅で泣いている時は本当に「妻の元に行きたい」と思って泣いている自分がいます。
しかし 思いっきり涙を流した後は、以外と落ち着きを取り戻している状態になります。だから、泣くのも一種の薬ではないかと近頃思えるようになりました。

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2017年8月26日(土)
今日は一日泣かずに
済みそうです
今月八月は、妻の初盆などがあり、七月に比べ精神が不安定な状態です。号泣スコールは突然来ます。まだ、百ヶ日過ぎたところですので、まだまだスコールは避けられません。
先日もスーパーで鉄火巻きの3本で特価の品を 買い、家出一口サイズに切って仏壇に供えたとたん、「昔よく二人でこれたべたなぁ」と思ったとたん号泣スコールです。どうして、こんな思い出のある品を買ったんだと自分を責めました。でも、思いっきり泣くだけ泣いたら少し落ち着きました。
でも、今日はどうにか落ち着いています。泣かずに済みそうです。

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