グリーフアドバイスは、喪失経験者から大切な方を亡くされた方へのアドバイスサイトです。無料メール相談を行っています。

(2)生きていくあなたへ  2022/12/17(土)

生きていくあなたへ 105歳どうしても遺したかった言葉!

生きていくあなたへ 日野原重明(著)

今回は前回に引き続き「生きていくあなたへ」より、グリーフアドバイスとしてご紹介したい章がありましたのでご紹介します。この本の第4章です。 突然の災害で家族を亡くしました。この悲しみを私は乗り越えていけるのでしょうか? の問に、日野原さんが答えている第4章を引用します。

グリーアドバイスのトップに戻る      

↑ PAGE TOP

P117より引用
僕は、病気で亡くなった人をたくさん見て来たけれど、それだけでなく、戦争や災害、不慮の事故など、人間の理解では受け入れがたい死もたくさん見てきました。 「どうしてこんな目にあわなければならないのか」と納得しがたい気持ちになるような、人智を超えた出来事を、僕達人類はたくさん経験しています。神様の計画は、人間にはわかりません。

グリーアドバイスのトップに戻る

↑ PAGE TOP

P118より引用
人間にはわからないけれど、すべてには神様の計画があると、僕は信じています。そして僕にそれを信じさせるのは、「神は超えられない苦しみは与えられない。そしてそのなかで逃れる道を与えて下さる」という聖書の言葉です。あなたは今悲しみの真っ只中にいて、一生自分は笑うことがないと思っているかもしれません。でも僕たち人間には、時間がかかっても必ず悲しみを乗り越える力が備わっています。綺麗な花を見たり、素晴らしい音楽を聞いたり、友達と心が通じ合えたり、そんな癒やしの恵みを味わうことで、生きて居て良かったなと思える瞬間が必ずやってきます。その時を信じて待つのです。「花は咲く」という歌がありますが、あれは僕の大好きな歌です。あの歌は、いつか花は咲くのだという事を信じているでしょう。あの歌ほど待つことを、優しく教えてくれる歌はないですね。

グリーアドバイスのトップに戻る

↑ PAGE TOP

P119~120より引用
「花は咲く」 作詞:岩井俊二 作曲:菅野よう子
真っ白な雪道に 春風香る わたしはなつかしい あの街を思い出す
叶えたい夢もあった 変わりたい自分もいた
今はただなつかしい あの人を思い出す
誰かの歌が聞こえる 誰かを励ましてる
誰かの笑顔が見える 悲しみの向こう側に
花は 花は 花は咲くいつか生まれる君に
花は 花は 花は咲くわたしは何を残しただろう
夜空の向こうの 朝の気配に
わたしはなつかしい あの日々を思い出す
傷ついて傷つけて 報われず泣いたりして
今はただ愛おしい あの人を思い出す
誰かの想いが見える 誰かと結ばれてる
誰かの未来が見える 悲しみの向こう側に
花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く わたしは何を残しただろう
花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く わたしは何を残しただろう
花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く いつか恋する君のために

グリーアドバイスのトップに戻る

↑ PAGE TOP

P121より引用
もう二度と立ち上がれないと思っても、どんな戦地の跡にも必ず花が咲くのです。 今すぐには、あなたは実感するこどが出来ないかもしれない。けれども大丈夫です。僕もそうでした。聖書の言葉「神のなさることは、時にかなって美しい」とあるように、その美しい時が来るということを、あなたとともに信じたいのです。愛することは信じることであり、信じるということは待つということなのです。
引用ここまで
如何ですか、やはりクリスチャンの方の喪失の捉え方は、私たち凡人とは違うなぁと実感しました。そして信じることは待つことであると言う教えも、なかなかいい考えだと思いました。そうですね、やはり立ち直りを信じて自分の人生を生きる、そして前を向いて歩ける日を信じて待つことも大切なことであると思いました。

花は咲く 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
作詞は宮城県仙台市出身の岩井俊二が手掛け、作曲・編曲は岩井と同じく同県同市出身[1]の菅野よう子が手掛けている。歌唱参加者は、岩手県・宮城県・福島県の出身者とゆかりのある歌手・タレント・スポーツ選手で、「花は咲くプロジェクト」名義となっている。 作詞の岩井は「この歌は震災で亡くなった方の目線で作りました」。また作曲・編曲の菅野は「100年経って、なんのために、あるいはどんなきっかけで出来た曲か忘れられて、詠み人知らずで残る曲になるといいなあと願っています」と語っている。 この楽曲の作詞・作曲家への印税は、全額がNHK厚生文化事業団を通じて被災地の自治体に義援金として寄付される[2]。そのため、この楽曲が音源でカバーされたり、コンサートで歌われたり、テレビ・ラジオでオンエアされる度に義援金が増えてゆくという仕組みになっている。

グリーアドバイスのトップに戻る

↑ PAGE TOP

(1)生きていくあなたへ  2022/12/15(木)

生きていくあなたへ 105歳どうしても遺したかった言葉!

生きていくあなたへ 日野原重明(著)

日野原氏は亡くなる数カ月前まで患者を診続け、健やかに生きるための助言をしばしばしされていました。そして105歳で逝去されました。その日野原さんの奥様は93歳で逝去されましたが、その奥様を思う考えも、この本には掲載されています。魂というものを考えさせられました。
当サイトでは、生きていくあなたへのP51~P53を抜粋して掲載しています。詳しくお知りなりたい方はアマゾンにてご確認下さい

グリーアドバイスのトップに戻る      

↑ PAGE TOP

P51より引用
僕の妻は残念ながら、93歳で僕より先に逝ってしまいました。人生の中であれほど大切なものをともにした妻、静子。清貧をよしとし、その真面目で清廉潔白 な人柄から「田園調布のマリア様」と呼ばれていました。それまで当たり前のようにそばにいたのですから、肉体が無くなってしまったということはやはりとても寂しいものです。しかし、その一方で、彼女の姿が、ますます、いやむしろ生きていたときよりも鮮やかになっているのを感じます。それが魂というものなのかもしれません。

僕と妻は魂でつながって、実際に今も一緒に生きて居るように感じるのです。

グリーアドバイスのトップに戻る

↑ PAGE TOP

P52より引用
考えてみたら不思議なことです。目に見えなくなった人の姿が、後々まで、生きて居た時以上に、僕たちに大きな力を与えるという事があるのです。見えないものの中にこそ物事の本質があるということを、妻は今でも僕に教えてくれているのです。僕の大好きな作品、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの「星の王子様」の中に「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」という言葉が出てきます。とても意味深い言葉です。見えなくても信じられる、そういう幸せを僕は妻に教えて貰っているのです。日本で初めてハイジャック事件となった。よど号事件から無事帰還できたとき、妻と抱き合ったあの一体感、あの瞬間というものは、今もはっきりと続いている感覚です。

グリーアドバイスのトップに戻る

↑ PAGE TOP

P53より引用
あのとき、妻と一緒に「これからは自分の命を人の為に使おう」と泣きながら決意したことが、その後の僕の人生の支えとなり、今日まで歩き続けることができたからです。亡くなった人のことを胸においてその人のことをイメージし続けていると、そこに本当の私が見えてくる。大切な人が遺してくれた言葉とともに生きると言うことは、本当の自分を知る為にも必要なことだと思います。引用ここまで

如何ですか?素敵なご夫婦ですね、本当にこころから素晴らしと思いました。これほどまでに精神を極められる伴侶と巡り合われた、日野原さんを羨ましく思います。 尚、この本にはここに引用した以外には、第1章死は命の終わりではない 第2章愛すること 第3章許すことは難しい 第4章大切なことはすぐにわからない 第5章未知なる自分との出会い、、などが掲載されています。ぜひ一読をおすすめします。

グリーアドバイスのトップに戻る

↑ PAGE TOP

👆PAGE TOP
👆PAGE TOP
👆PAGE TOP
👆PAGE TOP
👆PAGE TOP
👆PAGE TOP
v>
👆PAGE TOP
👆PAGE TOP
👆PAGE TOP
👆PAGE TOP
👆PAGE TOP
👆PAGE TOP

griefadvice.com

↑ PAGE TOP